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■ 第22回 田辺市の景観まちづくり                   2007.2.1

2004年和歌山県田辺市は、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」のまちとなり、登録地区の景観整備に一層の努力を傾注しています。翌年の市町村合併により、和歌山県の22%の面積を占めることとなり、近畿圏で最も広い市となりました。人口は約85,000人です。
「紀伊山地の霊場と参詣道」は単なる社寺と道ではなく、山岳信仰の霊場と山岳修行道であり、周囲の自然が一体となって初めて存在すると言われています。これまでに日本の世界遺産は13ヵ所が指定されていますが、「文化的景観」がユネスコに認められたのは当地が初めてです。

旧田辺市は古くから熊野への入口にあたる位置にあり、「口熊野」と呼ばれていました。室町時代より熊野詣が盛んとなり、多くの人々が参詣する姿から「蟻の熊野詣」とも言われました。江戸時代中期には宿場町として栄え、あこがれの熊野に向かう人々が一日800人も宿泊したとのことです。中辺路(なかへち)と大辺路(おおへち)と呼ばれる、熊野への2ルートの分岐点でもありました。


熊野古道
発心門(ほっしんもん)王子付近

世界遺産登録を契機として、周辺も含めた景観を向上させようとの動きも出てきました。また、海辺の自然景観にも素晴らしいものがあります。天神崎は日本ナショナルトラスト運動発祥の地と言われています。
熊野本宮語り部の会会長の坂本さん、田辺市熊野ツーリズムビューローの浦野さん・赤木さん、田辺市教育委員会文化振興課の松場さんにお話を伺いました



世界遺産石碑


八咫烏(やたがらす)

三里中学校製作
パンフレット

 

  • 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は文化遺産として登録されたが、キーワードは「文化的景観(Cultural Landscape)」である。これは「自然と人間の営みが長い時間をかけて形成した風景」と定義され、信仰の対象となった山々や森、棚田、ブドウ畑、滝、川、庭園なども登録対象となっている。
  • 「道」が世界遺産となったのは、スペインからフランスに至る巡礼道「サンティアゴ・デ・コンポステラへの道」に次いで世界で2件目と極めて珍しい。
  • 田辺市は霊場である熊野三山の一つ熊野本宮大社、および当大社に向かう熊野参詣道と修験者の修行に使われる大峯奥駆道の二つの道を有している。熊野参詣道には中辺路、小辺路(こへち)など4つのルートがあるが、かつて京都や西日本方面から最も頻繁に使われた経路は中辺路。
滝尻王子
  • 坂本さんが「本宮町語り部の会」に参加したのは1988年、その3年後より案内を開始した。世界遺産に指定されるずっと以前のことである。
  • 「熊野古道は単なる道ではなく、お地蔵さんのように手を合わせる対象物がある聖域であること」を訪問者に理解してもらいたかった。また、おもてなしをどのようにするかがテーマであった。
  • 2004年には「熊野本宮語り部の会」と名称変更。現在会員は39名、田辺市民が大半であるが、市外からの田辺ファンも数名いる。50代が中心、女性が2/3。
  • 案内にあたり自分たちのマナーづくりと同時に参加者のマナーづくりを心掛けている。
伏拝(ふしおがみ)王子からの眺望
  • ユニフォームには神武天皇を吉野まで案内したといわれる、足が3本の八咫烏(やたがらす)が描かれている。
  • 最近は歩く人々のマナーが良くなった。特に語り部が案内する場合はゴミを捨てないだけでなく、落ちているゴミを拾ってくれる。花を取ってはダメと参加者が注意してくれる。まちの景観を守ることが第一。
  • 世界遺産登録地が3県にまたがる中、ユネスコに登録した住所は熊野本宮大社の所在地。古道沿いの住民の意識も高まった。最初のころは訪問者があると隠れてしまったが、今では話し掛けるようになった。坂本さんの理想は地域住民が全員語り部になること。ほとんどの住民は知り合いだ。
古道付近の集落
  • 三里中学校の生徒が「熊野古道~木霊が心に響く~」と題したパンフレットを自主製作した。熊野古道を世界遺産として後世のために守り続けたいとの感想が記されている。元校長の坂本さんも内容を絶賛。次々世代への引継ぎはOK。
  • 「大きな団体で来るのではなく、少人数にて泊りがけで来て欲しい。古道だけでなく文化財や住民の生活風景をじっくり見てもらいたい」と坂本さん。
  • かつての教え子であった浦野さんも「目的意識を持った上質なお客様を迎えたい」との思いでいる。最近では訪問者サイズの小型化が馴染んできており、良い傾向にある。海外からも少人数で来て欲しいと策を練っている。
熊野本宮大社
 
  • 世界遺産の玄関口である田辺の市街地を案内する「田辺ボランティアガイド」が始まった。6月を環境月間としたクリーンアップ活動が行われている。天神崎を中心に企業も清掃活動に協力。
  • 中辺路の山林を「企業の森」として借り上げ、下草刈りをする企業も4~5社出現。「イチイガシの会」は杉や檜が植林された山を自然林に戻す活動をしている。
  • 田辺湾の北端にある岬、天神崎は古くから市民の憩いの場として親しまれてきた。当地域の海の生物相は森からの栄養分もあり非常に豊かである。サンゴの群生はここが北限。岩礁につながる海岸林にも亜熱帯系の昆虫が多く生息する。
休憩所
  • 1974年この海岸林内に別荘地の開発計画が作られた際、自然の保全を願う市民有志が「天神崎の自然を大切にする会」を結成、募金運動により対象の土地を買い上げることになった。
  • この先駆的な保全活動が日本における最初のナショナルトラスト運動となった。現在は天神崎の約40%、7.3haを買い取っている。市も一定の支援をした。
  • 世界的な博物学者であり、自然保護にも尽力した南方熊楠(みなかたくまぐす)は田辺市で後半生を過ごしたが「無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし」と景観保全の重要性も説いた。
天神崎
  • 熊楠は明治政府の推進する神社合祀令に大反対した。一町村一社が標準となると、売却のため神木が伐採され、自然が破壊されるからである。
  • 継桜(つぎざくら)王子(小さな神社の意)にかろうじて残った9本の杉は、現在「野中の一方杉(枝が那智大社方向にのみ伸びている)」と呼ばれる大木となった。
  • 熊楠は田辺湾に浮かぶ神島(かしま)で、粘菌(森や薮の腐ったような地面に見られるアメーバー状の菌)につき昭和天皇にご進講した。天皇の神島上陸が自然保護の起点となり、以後島の自然が破壊されることはなかった。
  • 世界遺産指定により訪問者が適度に増え、交流できたことが浦野さんたちの誇り。今後も住民の生活を壊さず、継続性を大切に、身の丈に合った活動をしていきたいと考えている。文化的景観を守っていくことが、上質なお客様を招くことになると信じて…。 (太田正美)
南方熊楠邸
    
  

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