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■ 第23回 長崎市の景観まちづくり 2007.4.1
                                          (偶数月1日に掲載します)

和・洋・中が混在するなど歴史的に国際色豊かであり、文化遺産に恵まれた異国情緒が漂うまち長崎市の景観づくりを紹介します。鎖国時代にはヨーロッパとの唯一の貿易窓口であるとともに、中国文化にも大きな影響を受けています。開国後は多くの外国人が居住しました。最近では長崎市内8ヵ所を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、世界遺産の暫定リストに選出されました。

南山手や東山手といった歴史性の極めて強い地区、中島川界隈から寺町地区、出島和蘭(オランダ)商館跡、新地中華街・唐人屋敷跡などにて景観づくりが行われています。

 


長崎大景観

長崎市は市街地の70%が斜面地であり、その急峻な地形は特徴的ですが、これを最大限に活用しようと斜面地景観なるコンセプトの下、山の斜面に沿って建てられた住宅地区の景観整備も推進しようとしています。
まち全体を俯瞰する景観には自信を持っており、「大景観」と呼んでその見映えを大切にしています。稲佐山からの夜景は日本三大夜景に選ばれており、もう一つの魅力を演出しています。

市街地と自然が織りなす長崎特有の景観に磨きを掛けようと、行政・市民協働にてさらなる景観づくりを試みています。より良い景観が長崎市民の生き生きとした暮らしを生み出し、まちに活気をもたらすと考えています。昨年4月から7ヶ月にわたって行われた「長崎さるく(道草歩きの意)博'06」では、多くの訪問者が歩いて長崎のまちを楽しみました。大浦青年会会長の桐野さん、長崎市都市景観課課長の佐藤さんにお話を伺いました。



長崎さるく(長崎市広報誌)


幕末の長崎居留地
(長崎大学附属図書館蔵)

坂の風景

 

  • 桐野さんは「長崎さるく博'06」の市民プロデュ-サーでもある。経済的効果もさることながら、自分の住んでいる地域の多くのことを知るようになり、住民が地域に誇りを持つようになったことが最大の成果。
  • 猛勉強した。「じいさんがこげん言いよった…」、昔からの聞き伝えを学ぶことによって、住民間のコミュニケーションも深まった。坂本龍馬やグラバーのように歴史に名を残さずとも、まちに貢献した人々がいたことが分かった。
  • さるく博に動機付けられて、まちづくりの気運が高まり、まちが元気になった。市内の多くの地域で競うようにまでなった。現在390名のガイドは全員市民。
東山手洋風住宅群
  • 今年も本日(4月1日)より「長崎さるく」がリニューアル・スタートする。一足早く南・東山手地区を、桐野さんの案内で約2時間歩いた。
  • 長崎に居留した外国人は、まち全体が「円形劇場」のようであると、当時よりその景観の美しさを認めていた。市内にはプロテスタント系の学校が多い。
  • アメリカ人女性宣教師エリザベス・ラッセルにより、1879年に創立された活水(かっすい)女子大学はその一つ。今年設立128周年。ラッセルは43才から40年間長崎に滞在した。…というような面白い話を、歩きながら桐野さんから楽しく聞いた。赤い屋根の校舎は東山手地区景観のシンボルともなっている。

活水女子大学
  • 桐野さんの大浦青年会は、その活動拠点を南山手の大浦諏訪神社に置いているが、当神社を見上げる地点からは大浦天主堂の屋根と妙行寺も視界に入いる。3教が併存する珍しい眺めである。
  • 長崎の洋館は原爆の被害をさほど受けず、幕末から明治初期の建物が残った。外国人建築家ではなく腕の立つ日本人大工さんにより建てられたことが特徴。保存状態は概ね良好。将来トラスト運動に発展することを佐藤さんは希望している。
  • もう一つのガイド付き特別コースを一般の参加者と一緒に回った。中島川界隈から商店が並ぶ中通りを経て、寺町通りをさるくコースである。
  • 中島川には多くの橋が掛けられている。眼鏡橋は1982年の長崎大洪水で半壊した折、隠れていた階段部分が露出。修復後は元どおり階段付きとなり車は通行できなくなった。中島川一帯は美しく整備され市民憩いの場となっている。
中通り
  • 中通りは江戸時代のままの狭い道幅で車が入れないため、かつては約130軒ある店の売上げに不利と思われていたが、今やこの方が逆に客を呼んでいる。
  • 天保元年(1830年)創業の和菓子屋の店主さんからは、「原爆の爆風を受け柱の一部が傾いている」とか「看板は大正時代に舟の底板で作られた」など興味深い話を聞いた。
  • 最後は航海安全を祈願して造られた、わが国最古の唐寺興福寺を訪問したが、この界隈には多くの寺院と墓地が並び独特な景観を呈している。「墓碑銘は中国の影響を受け金色に塗られている…」、これはガイドさんからの受け売り。
眼鏡橋付近
  • 1996年、本格的に出島和蘭商館跡を復元するプロジェクトがスタートした。長期的には四方に水面を確保した完全復活を目指している。
  • ワーフ沿いの海岸線は、出島プロムナードと呼ばれる遊歩道としてきれいに整備されている。楽しみながら歩くことができる水辺道路景観づくりも行っており、長崎港の「水辺のプロムナード」は来年度、水辺の森公園から稲佐橋までの部分が完成予定である。
  • 幕末から明治初期にかけ唐人屋敷(17世紀末密貿易対策として中国人居住者を集め住まわせた地区)が廃止されたことに伴い、中国人は新地に移り住んだ。
  • 唐人屋敷跡では約60名の参加の下、1993年「十善寺地区まちづくり協議会」が発足し、その活用について検討を開始した。華やかな新地とは対照的に、落ち着いた配色の伝統的な中国民家様式のまち並みづくりをしようなどの提案が出されている。行政側もこれらの助言を踏まえ、当地の整備に取り組んでいる。
出島和蘭商館跡
  • 急峻な地形は長崎のまちづくりには大きな制約となっているが、これを逆手にとり「さかんまち(坂のまち)」の魅力を開発しようとしている。
  • 1960年代以降、下の方から宅地化が始まった。本格的な車社会到来以前であったため、車の入れない市街地ができていった。斜面地に足を入れると、狭い階段や道路が縦横無尽に走っていることが分かる。
  • 老朽化した木造家屋が目に付くようになってきたが、不便さが招く地域活力の低下や高齢化に伴う空き家の増加が気掛かりである。斜面地は、眺望・通風・採光といずれにも優れており、何とか維持できるよう方策を検討中である。
唐人屋敷跡・観音堂
  • 道路上の電柱、街路樹、柵などに掲出された違反広告物は、市民推進員により月1回定期的に除去される。市の職員2名は毎日パトロール。
  • 1985年5地区で始まった除去運動は、20数年を経過し39地区にまで広がった。2005年の市民推進員は655名、市職員と併せこの年8,079枚を除去したが、ピークであった2002年の39,674枚と比較すれば、違反広告物自体が減少してきていることが分かる。終わりのない戦いではあるが成果は出ている。
  • 「山と海の双方より、まちで織りなす大景観」は最大の誇りであり、次世代に引き継いでいく。市民には景観づくりに積極的に取り組んでもらいたいと「景観まちづくり地域団体」を助成する制度も導入した。現在13団体を認定。
  • 「約20年間市民の後押しを背中に感じながら積み重ねてきた景観活動がこれまでの最大の成果、マンションと景観の問題は課題の一つ…」と佐藤さん。(太田正美)
斜面地住宅群
    
  

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