|
日航財団>景観>
■ 第25回 タリン(エストニア)の景観まちづくり 2007.8.1
(偶数月1日に掲載します) |
|
バルト海沿岸の小国エストニアの首都タリン(Tallinn)は、その歴史地区が1997年ユネスコの世界文化遺産に指定されました。かつての豊かさが、特に多くの教会や商館の形で残されています。1944年3月9~10日には旧ソヴィエトの砲撃を受けるなど、戦争による破壊はありましたが、全体として中世北ヨーロッパ交易都市の代表に相応しい、絵画のような、突出した美しさがほぼ完璧に保全されています。
13世紀にハンザ都市としての特権を得ましたが、ドイツの影響を大きく受けており、現在タリンに残る歴史的建造物は、ほとんどがこの時代に造られています。その後いくつもの国々に支配されたエストニアは、1991年8月20日独立を宣言し、今日に至っています。歴史的には数奇な運命を辿っています。
| 
聖オレフ教会からの旧市街眺望 |
|
フィンランド湾を挟んでヘルシンキと対峙する、バルト三国最北の国の首都がタリンです。ヘルシンキからは高速艇にて1時間30分で到着します。市内には大小いくつかの湖があり、郊外のピリタ地区を流れる川の流域は、自然景観保護地区となっているなど周囲の自然環境も優れています。夏至の日照時間は19時間、緯度が高いため5月下旬~7月下旬にかけては白夜状態になり、深夜でも真っ暗になることはありません。
タリンの人口は約40万人です。エストニア人の54.8%に次いで多いのは36.6%を占めるロシア人であり、旧ソ連統治時代の名残が感じられます。
最も重要な産業は、照明器具、織物、食品などですが、最近ではIT産業が急激に伸びており、「バルト海のシリコン・バレー」とも呼ばれるようになりました。今年世界で初めて国政選挙にインターネット投票が導入されました。
タリン市ツーリスト&コンベンション・ビューローのリーロ・イルビスさんに景観づくりのコメントをいただきました。
|
|
| 
エストニア・タリン(Google map)
| 
公園の緑 | 
ブラックヘッドギルド会館 | |
| 
|
- 1248年ハンザ都市としての特権を得た当時、タリンはドイツ名であるレファル(Reval)と呼ばれていた。その後数世紀にわたり、北欧商業都市の拠点として繁栄したが、現在に至るもドイツの影響が色濃く残っている。
- 1558年以降デンマーク、スウェーデン、ロシア、ポーランド間で領土争いが繰り広げられ、勝利したスウェーデンの支配が18世紀初頭まで続いた。教育に力が注がれたこともあり、「古き良きスウェーデン時代」と呼んでいる。
- 1710年からの約200年、エストニアはロシアの占領下に入った。但し、この間もドイツ貴族は領地支配を継続し、ハンザ都市の特権を維持した。
|
| トームペア城 | |
- 1918年エストニア共和国の独立を宣言、2年間の自由戦争を経て、ソヴィエト政府と平和条約を締結。1939年の独ソ不可侵条約・秘密議定書により二国間で突然国境が引かれ、ソヴィエトに組み込まれた。1941~4年一時的にナチス・ドイツの一部となったが、再びソヴィエトに併合され1991年まで続いた。
- 1991年8月20日、ようやく独立回復を宣言したが、エストニアはソ連によるバルト三国併合を認めておらず、独立記念日はあくまで1918年2月24日としている。独立後の急激な経済発展には目を見張るものがある。
- イルビスさんによれば、世界遺産に選ばれたことは市民にとって大きな喜びであり誇りであった、と同時に永く指定され続けるための大きな責任を感じたとのこと。旧市街(Old
Town)と周辺での開発、特に新しい建物とそのデザインは、すべて厳格なユネスコの基準に合致させなくてはならない。
| |
|
アレクサンドル・ネフスキー
聖堂
| |
|
|
- 公衆トイレ、ベンチ、ゴミ箱に至るまで、旧市街の雰囲気を壊さないよう配慮している。住民の質の高い生活を実現することが第一義、「旧市街は市民の使う公共・オープンスペースである」と理解し保全することが原則。
- 最も大切にしたいのは「まちの魂(Soul of Town)」。具体的には歴史的なグリーンベルト、通りの構造、それにもちろん建物群である。伝統も守りたい。
- インターネットなどを通じ情報を提供、市民の多くもまちの将来に関する議論に参加するなど保全に協力している。26年前から「旧市街デー(Old
Town Days)」を実施、市民のための会議やセミナーを開催し続けている。
|
| ラエコヤ広場 | |
- 旧市街を活気のある場所にすべく、より高品質なサービスや文化の薫りを市民や訪問者に提供していきたい。間違っても、誰も訪れない博物館や怪しげな遊園地のようなまちにはしたくないとイルビスさん。
- まちの保護活動は、2人のリーダーにより19世紀末よりすでに始められていた。第二次世界大戦後は旧ソ連体制に逆らうが如く、国家のアイデンティティを示すためまちの復旧と保全が行われた。
- 大戦で市街地の相当部分がダメージを受けたが、13世紀に始まりその後変わることのなかった「ストリートプラン」を良好な状態で保持していたため、これに基づき、ほぼ14~16世紀と同様な建物を取り戻すことができた。
- タリンは北ヨーロッパで最も保全状態の良好な中世都市の一つであり、特にハンザ同盟都市の中では、最高のまち並み景観を呈していると言われる。
|
|
 三人姉妹 | |
 |
- 全体が城壁に囲まれた旧市街を代表する地区の一つが、トームペア(大聖堂の丘)である。海抜48mの石灰岩の丘上に位置する山の手地区であり、かつて当地区の住民は大半が貴族や修道士と限られた職人であった。
- 13~14世紀に完成されたトームペア城は騎士団の城であったが、18世紀後半エカテリーナ2世の命により改築され、現在は宮殿の様相を呈している。
- トームペア地区の変わった建物、アレクサンドル・ネフスキー聖堂は、帝政ロシアが建てたロシア正教の教会であり、周囲の歴史的建造物とは違和感がある。エストニアの人々には複雑な思いを抱かせているようだ。
|
| ヴィル通り | |
- もう一つの旧市街は下町・アルリン地区。中でもラエコヤ広場を中心とするエリアはとりわけ美しく保全されており、イルビスさんが最も誇りに思う場所である。ラエコヤ広場はかつて市場としての役割を担い、非常に賑わっていたようだ。塩を輸入し、穀物、毛皮、ろうなどを輸出した。
- 13世紀半ばに建てられた聖オレフ教会は、15世紀には当時世界一高い159mの塔を有した。現在は124mであるが旧市街では最も高い。途中まで昇ることができる。エレベーターはない。ここからの眺望には筆舌に尽くし難いものがある。
- ハンザ都市時代には金持ちの商人と職人にのみ、市民の全権が与えられていた。三つ並ぶ建物の壁面が女性的なことから三人姉妹と呼ばれる家々は、15世紀に建てられた代表的な商家である。現在は5つ星ホテル。ギルド(中世の職業別組合)の会館もいくつか見られる。
| |
| カタリーナ小道 | |
| |
- ヴィル通りに代表されるメインストリートや、カタリーナ小道などの路地を探索するのも楽しい。とにかく旧市街の中は中世を思わせる建物群がひしめいており飽きることがない。歩くたびに新たな発見がある。
- 2.5kmあった旧市街周囲の城壁は、その大部分が今でも残っており、所々に建てられたさまざまな形の塔とあいまって美しい景観を呈している。城壁の外側にはいくつもの緑多い公園が配置され、市民憩いの場となっている。
- 中世の美しい雰囲気を存分に残しながら、旧ソ連からの独立後は自信と情熱をもって21世紀に突入したフレッシュなまち、タリンはまさに「バルト海沿岸の宝石」と言えるのではないか。(太田正美)
| | 城壁と塔 |
|