外国語が上達するための学習方法
インタビュー 作家、日露通訳・翻訳者 米原万理さん
(同時通訳という仕事)
-エリツィンさん、ゴルバチョフさん、ロストロポービッチさん、サハロフさん・・・とロシア語圏の第一線で活躍されている方々の同時通訳をされていますね。とても緊張を強いられるお仕事だと思いますが。
でもあのスリルを一度味わうとやめられません。準備に追われている最中の焦燥感、引き受けなければよかったという後悔の念、始まる直前の緊張感、本番中のとてつもない集中力、それが高ければ高いほど、終わった時の開放感、充実感、爽快感も大きいのです。 同時通訳中にどれほど集中するかというと、脈拍が普通70拍/分ぐらいですよね。ウェイトリフティングの選手がバーベルを持ち上げる一瞬、脈拍が140拍/分までつり上がる。同時通訳者は、同時通訳中の10分から20分の間ずっと160拍/分なんですよ。心臓が強くなくてはやっていけませんね(笑)。同時通訳の現場はネタの宝庫ですし、著述業と両立しようと目論んでいたのですが(一時期、「米原さんは、通訳業の産業廃棄物を加工し出版業界に流して甘い汁吸っている」(笑)と陰口叩かれたものです)、両方とも並々ならぬ準備を必要とし、しかも準備の質が異なるので、両立は不可能でした。現在は地味にシコシコと執筆のみになってしまいました。
(外国語への第一歩)
アートリンク提供©
石田健一 |
―チェコで初めてロシア語に出合われましたが、違う言葉というのはどのくらいたつと話せるようになるものですか。
もちろん、最初は全く分からない。知っていたのは人工衛星のスプートニクという単語ぐらい。先生の話すことが百パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄です。意地悪されても抗議も出来ない、皆が笑うときに笑えない。これほど寂しく切なく辛いことはありません。それでもしばらくすると、少しずつ分かるようになってくる。分かったときの喜びは、もう大変なものです。学校にはほぼ50ヶ国ぐらいの子供達が通ってきていたのですが、ロシア語習得にかかる時間が国によって違うのです。ロシア語と親戚関係にあるスラブ系のポーランドとかチェコの子が2、3ヶ月、もう少し距離があるけれど同じヨーロッパ系のドイツとかフランスの子が4、5ヶ月、言語的に遠いアラブとか日本からやってきた子供が一番時間がかかる。6、7ヶ月かな。私の場合、3ヶ月位でおよそ言っていることがわかるようになり、夏休みの林間学校で、急激に上達しました。毎日遊んで言葉を使うし、そこの図書館でロシア語の本を読みましたから。読み始めは60%位しか分からないのに、段々その割合が少なくなっていきやがて読み終えるのです。
考えてみますと、日本語の本でもわからない語彙とか知らない漢字があっても、前後関係で内容がわかるので、いつのまにか語彙を増やしていっているのですね。
結局、夏休みが終わる頃になると、ロシア人の子供とほとんど変わらないくらい言葉に不自由しなくなっていました。これは私だけが特別だというわけではなく、他のどんな言語圏からきた子供も、どんなに長くとも6ヶ月から7ヶ月でロシア語を身に付けるようになり、1年もかかる子供は1人もいませんでした。
これは、おそらく一つの言語を身に付けていると、その他のあらゆる言語を身に付ける可能性を持つようになるということなのだと思いました。つまり言葉を身に付ける一番基本の脳、言語脳みたいなものがあって、一つの言葉をきちんと身に付けていると次の言語に要する時間はもう少し短くなる。実際、最初の言語(母語)はとても長い時間をかけて身に付けますよね。その意味で、「最初、人類は一つの言語で話していたのが、バベルの塔を建てるという傲慢に腹を立てた神が、各言語をバラバラにして通じなくさせた」という聖書のフィクションがありますが、「最初、人類は一つの言語で話していた」の部分は、ノンフィクションなのではないか、と思うことがあります。
(離れていることの利点その1)
でも、あとになって気づいたのですが、言語的に親戚関係にある国の子供は、言葉が身に付く時間は早いのですが、元の自分の国の言語のもっている訛り(すなわちチェコ人ならチェコ語訛り、フランス人ならフランス語訛り)や文法の癖をつけたまま身に付け、その後大学や大学院でロシア語を勉強しても、そのまま直らないのです。 ところが、私のように言語的に遠い国の子供ほど、習得するのに時間はかかるけれど、電話だとロシア人に間違えられる程の全く癖のない言葉を身に付けるようになるのです。
何故かとずっと考えていたのですが、おそらく人間の脳には省力装置がついており、新しい言語を身に付ける時には、その人が努力家であろうと怠け者であろうと個人的な資質とは関係なく、近似的なパターンがあるとそちらを応用して新しい言葉は身に付けないという風に脳が自動的に働いてしまうからだと思います。多分、英語もフランス語もロシア語もその昔、祖語が同じなのでしょう。太陽はロシア語はソンツェ、フランス語はソレイユ、英語はサンでよく似ていますよね。
これに比べて、言語的にあまりに離れていると省力化が働かない。見回して似ている言葉がないと全く新しく覚えないといけないので時間がかかってしまいますが、完璧な形で身に付けるのです。確かに大変で苦労はしますが,言語的に離れていることは必ずしも悪いことばかりではないと思います。
(離れていることの利点その2)
これは必ずしも言語の問題だけではなく、近くにいるから理解できるとは限らないし、距離があることにより逆に客観的に見えてよく習得できることがあると思う場合があります。例えば、私は、親友がユーゴ人だったこともあり、あの凄惨な民族戦争が始まって以来、ユーゴ関連の本は片っ端から買い込んでいろいろな言語で読んだのですが、ヨーロッパで書かれて、とても評価の高い本もあまり感心しませんでした。では、どの本がいいかというと、日本人が書いた本が一番面白く、事態を理解するのに役だったのです。日本とユーゴスラビアと比べると全く正反対で向こうは民族の博物館といえるほど多民族からなっているし、こちらは島国で、さる人が「単民族国家」と発言して物議をかもしたことがあるほどに、ホモジニアスです。日本人からみると最も理解できない国である筈ですが、逆に日本人である著者は、根元から理解しようとするから、生半可ではない知識と全人格をかけた理解を要するのですね。
日本人が書いたユーゴの本は百発百中全部おもしろいので、ぜひヨーロッパ人にも読ませてあげたいし、ユーゴ人が読んでいたら、戦争はおこらなかったのではないかと思うくらいです。
(外国語が上達するためには)
―通訳になるために特別な勉強をされたのですか?
米原万里氏提供©
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プラハの学校では、文学の授業で自国作品を大量に読ませます。また学校の図書館で、低学年の時は、本を返すとき、司書に感想ではなく、その本の内容を話すことになっています。
そのお陰で、受け身で読み流すのではなく、とても攻撃的で立体的な読書法が身に付きました。素晴らしいロシア語の訓練にもなりましたし。集中して読まなければならず内容がよく頭の中に入るのです。国語の時間でも一段落読むとすぐにその要旨を話すように言われるので、受身ではなく能動的な言葉の身の付け方ができとても良い訓練になりました。日本に帰ってきてからは、父に神田のナウカというロシア語の本屋と日ソ協会のロシア語図書館に連れられて行き、両方好きなだけ利用していいと言ってくれたので、中学2年から大学に入るまで、1週間に4冊ずつロシア語の本を読むというパターンを続けました。ロシア語を勉強しようという気持ちからではなくて、ただ面白いから読んだのです。ジャンルは大体小説です。トルストイもドストエフスキーも手紙や日記に到るまで全作品原語で読みました。特別にロシア語の学校には通いませんでしたが、結果としてそれが一番良い学習法だったと思います。
―それが通訳のお仕事に役立っている・・・・。
おそらく。というのは「米原さんの言葉はチェーホフやトルストイのロシア語ですね」とよく言われます。また、文学はその国民精神のエキスなので国民性というものが一番よく分かるのが文学、日本に住んでいる以上日本の本を読み尽くそうと思い、中・高両方とも、文学史に出てくる本はすべて読みました。出雲風土記から、源氏物語(与謝野晶子訳)、蜻蛉日記も・・・・・。
国語の時間に先生が、田山花袋の「蒲団」を読んだ人といわれハイと手を挙げたら、誰も手を挙げないんですね。「日本人って謙虚なんだわ」と思い、後で尋ねたら1人も読んでいなかったのです。作家の名前や発表年月日にはとても詳しいのですが。でも本を読んだ方が得をしたと思っています。
―言葉が上手になるためには本を読むことが大切なのですね。
本は語彙を増やしてくれる一番苦痛のない外国語学習法だし、すでにもっている言語を忘れないためにとても有効な手段だと思います。ただ、発音だけは完璧な人に習った方がいいですね。最初間違った発音やイントネーションを身に付けるとそれを直すのに10倍の時間がかかりますから。本国できちんとした発音をすると認められている人、アナウンサーや俳優等のきれいな発音をシャワーのように浴びながら本を読む、これが一番良いと思います。
―通訳をするために必要な語学力は?

アートリンク提供©石田健一 |
その外国語で小説が楽しめるくらいに読めることです。学習ってドリルですから、なるべく頻繁にその言語に出合うことが最良の学習方法です。スパルタ式に教科書にそってやるのも良いのですが、忍耐力を試しているみたいで少しも楽しくないですよね。本だと魅力的な主人公とかわくわくするようなあらすじに追われながら読み進んでいくうち、何回も必要な文法形式や語彙に出合っていくわけです。しかも、小説にせよ戯曲にせよ日本語なら日本語の、英語なら英語の良い使い手が書いているわけですから、学習するつもりはなくて単に小説がおもしろいから読んでいくうちに自然と良い表現が身に付いているのです。もちろん、外国語だけでなく、日本語でもですよ。
―帰国子女のほうが有利でしょうか。
帰国子女で良い同時通訳になっている人は数えるほどしかいません。日常会話はできるのですが、同時通訳が求められるのは殆どが専門の会議です。むしろ日本の大学でしっかりと外国語と日本語を勉強した人の方が同時通訳になる確率は高いです。きちんとした言語はどちらかというと文章語なのです。帰国子女だからといっても、子供の語彙にはまだ抽象概念とか複雑な概念を表す語彙はありませんし、日常会話であれば700語くらい知っていれば十分です。通訳に必要なのは大人の語彙ですから、一番良い学習方法は、やはりたくさんの本を読むということにつきると思います。
(最後に)
―最後にぜひお尋ねしたいと思っていたのですが、米原さんの本のタイトルはとてもユニークでおもしろいですよね。それは何故ですか?
自分ではそれほどユニークだとは思いませんが、有名な作家だと名前だけで本が売れます。私の場合は絶対にそういうことはないので、本屋で目立つために、せめてタイトルだけでも工夫しなければとは思っています。しかしタイトルも作品の一部なのですよね。皆にちょっと長すぎるのではといわれ、いつもちゃんと覚えてもらえないのですが。例えば「オリガ・モリソヴナの反語法」という本は、略してよく「モリソバ」などと言われます(笑)。
―本日は楽しいお話ありがとうございました。
(聞き手/編集 日航財団 小川由美子)
(2006年2月)
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