旧市街カレイチ

アンタルヤの港

 先に述べたとおり、アンタルヤは旅の中休み、これと言った観光予定や手配を決めているわけではない。ゆっくりと骨休めの積りなのだが、日本人のじっとしていられない性分は何処にいようと顔を出すようで、折角アンタルヤまで来て宿に籠もるのも能がないし、勿体無いと少々落ち着かない。暑いと知りながら、さればと宿を出て、急坂の路地を下ると港に行き当たった。高さ30mほどの崖に三方を囲まれ海に口をあけるは美しい。帆船時代、背後の崖は内陸からの攻撃に対する鉄壁の備えであったろうし、外洋からは察知しづらい。軍港としてかつ敵から逃れる船の隠れ場所として絶好の港であったに違いない。そして、今目前に見る港には世間から隔絶された感じがあって、その密やかな雰囲気は魅惑的で抗えないものがある。朝晩はヨットや観光船の出入で賑わっているらしいが、暑い日中は船の動きも少ない。港を一巡して、ヨットのデッキで昼寝したりワインを啜ったりする別世界人を尻目に、急坂を登って街に出た。

 大通りに観光案内所があった。そこで話を聞いてから街を散策しようと決めて、中に入ると中年の男性が応対に出てきた。こちらの話を聞くでもなく、「昼休みだから後で来い」と愛想なく言い放つと、彼の眼中から私は消え去ってしまった。腹立たしいが如何ともしがたい。再び焼け付くような大通りに出た。近くにトランヴァイ(路面電車)の駅がある。これに乗って終点まで行ってみようと咄嗟に決めて次のトランヴァイを待つことにした。街の西、アンタルヤ考古博物館前からカレイチの街の壁沿いに街の中心街を走って東の住宅街までの30分程の路線なのだが、街を概観するには安上がりで手間が掛からない。暫く待って(30分に一本)、カレイチから急な坂道を上がった大通りのセレッキレル駅からゼルダリリッキ行きに乗った。真夏の昼過ぎ乗客は少ない。出入口のタラップを上がり、立派な髭を蓄えた小太りの小父さんに運賃1リラ(90円)を支払って着席した。電車はカレイチの北面をイヴァリ・ミナーレまで走って、その後南下する。この辺りがアンタルヤ銀座と見受けられた。

イヴァリ・ミナーレ

イヴァリ・ミナーレはセルジュークトルコによって建てられたミナレットで、隣接するモスクはビザンティン時代、教会であったという。現在はアンタルヤを象徴する建造物である。南に下って直ぐにハドリアヌス門がある。2世紀、ハドリアヌス帝を称えてローマ人が建造したカレイチへの入口である。車窓から街を概観し、ホテルと繁華街の位置関係が頭の中に刻まれた頃、トランヴァイは海を臨む辺りに出て、程なく終点ゼルダリリッキに着いた。もっとも髭の小父さんが「降りろ」というまで終着駅と気付かなかったのだが。ドイツ人夫婦が、親切に「何処に行くのか」と話しかけてきた。聞いてみると長期にアンタルヤに滞在しているという。バスで30分ほどの所にララ海岸という海水浴場があると教えてくれたが、遠慮して、再び髭の小父さん車掌の電車に乗ってカレイチに戻った。

カレイチ

 カレイチはアンタルヤの旧市街で港を囲む高台にあって、石畳の路地がくねくねと迷路のように縦横に走り、オスマン時代からと思われる古い家並みが路地にのしかかるように建ち並んでいる。

古い家並み

ホテルを出て角を一折れ二折れするうちに、方向音痴でもないのにすっかり方向を失って、何処にいるのか判然としない。そう言えば、空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手もカレイチに入って2~3度道を聞いていた。地場の運転手にとってさえ迷路のようなカレイチの路地、異邦人が迷うのは至極当たり前と割り切って散策を続ける。観光以外これといったビジネスの少ない旧市街、ところどころ絨毯を売る店、土産を売る店、飲食店はあるが、暑さのためだろうか人通りは少ない。

ゲームを楽しむ老人

道端の日陰に低い机と椅子を出してゲームを楽しむ老人、サッカーボールを蹴る子供達が路地の主役である。このゲームはオスマン時代からあるゲームでベッカーというらしい。アメリカで働いていたという絨毯屋がルールを説明してくれたがさっぱり判らない。元気のいい老人達が、「俺がチャンピオンだ」、「いや、俺だ」とあっけらかんとして楽しげである。しかし、路地には木造の廃屋が目に付く。

廃屋

廃屋はカレイチの新たな発展や開発の一時的な姿なのだろうか、それとも古きよきカレイチの衰退を物語っているのだろうか。いずれにしても、オスマントルコの残滓といった気だるさと憂愁感を漂わせていて、これが何とも言えぬ魅力を醸し出している。廃屋と言えば、「ミナレットの先端を切られたモスク(Truncate Minaret Mosque)」と呼ばれるモスクの廃墟がカレイチのほぼ中央にある。確かに廃墟に残るミナレットには塔がない。このモスクには長い歴史があった。2世紀に寺院(Temple)が建てられたのがその始まりである。

廃墟に残るミナレット

テンプルというから土着もしくはローマの寺院であったのかもしれない。しかし、この寺院は6世紀に解体されて、その跡に壮大な教会が建てられたという。7世紀にはアラブの侵略により教会は破壊され、やっと9世紀に修復されたのだが、その後、セルジューク時代にはモスクに変えられた。14世紀には、キプロスがアンタルヤを征服し、モスクを再び教会に転換した。15世紀以降オスマン時代には再びモスクに転用されていたが、19世紀末に火災で大部分を焼失してしまった。その時ミナレットの上部尖塔も破壊されて「ミナレットの先端を切られたモスク」と呼ばれるようになった。今は尖塔を失ったミナレットは存立するもののモスクは瓦礫と化している。カレイチの修復の一環としてこのモスクを旧に復する計画の有無は不明であるが、修復されればアンタルヤのランドマークとしての重責を担うことになろう。(続)



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