Part 2 カッパドキア
カッパドキア。奇岩群と数知れないキリスト教遺跡が、世界複合遺産として登録されているトルコ旅行必見の地である。カッパドキアは、観光旅行的には狭義にネヴシェヒル一体を指す地域として使われているようだが、一般的には東西400km、南北200kmにわたる広大な地域で、南はタウラス(タロス)山脈、東はユーフラテス川上流、北は黒海、西は塩湖であるトゥズ湖辺りに囲まれた内陸ステップ気候、標高1000m内外の中部アナトリア高原地域を指している。夏は乾燥し、朝晩は涼しく日中は日差しが強い、そして冬は寒く積雪が多い。ユーフラテス川というとイラク、メソポタミアがイメージされるが、その源流は地中海が一番奥まってシリアにぶつかるアナトリア半島の首根っこの内陸山岳部辺りである。古来、中部アナトリアは多くの民族が往来し競い合った地域で、地図を開いてみてみると、シリア、レバノンは至近だし、イラク、イランもイスタンブールへ行くほどの距離である。このカッパドキアの位置がその長い歴史を多様かつ独特なものとしていて、ロマンに富んだ魅力となっているのではなかろうか。
カッパドキアは「美しい馬のいる土地」を意味するペルシャ語だそうだが、そのペルシャ語もどうやら先住異民族の言葉に由っているらしい。カッパドキアの歴史は紀元前18世紀ごろヒッタイトと呼ばれるインド・ヨーロッパ語系の人々が王国を北・中部アナトリアに建国したことに始まると言われている。ついでながら、アンカラの東170km程のボアズカレという村にヒッタイト王国の都の遺跡が発掘されて、世界遺産として登録されている。ヒッタイトは古代ギリシャ人と先祖を共にするとも言われていて、黒海沿岸からアナトリアに定住したと考えられているが、推測の域を出ていない。それ以前紀元前20世紀頃まで八ティックと呼ばれる非インド・ヨーロッパ語系の先住民族八ティアンが居住していた。ヒッタイトが進入してから、ヒッタイトとハッテイアンと混血融合が進んだと推測されている。ヒッタイトの外交や交易などの足跡はエジプトの象形文字、メソポタミアのアッカデイア楔形文字などで記録が残っているし、旧約聖書に言及もあるとのことである。
ヒッタイトは青銅器時代に属するが、紀元前14世紀には鉄の製造を始めた先進国であった。そして鉄は滅亡までヒッタイトの貴重な交易品でもあった。また、建設・建築技術や二輪戦車(馬車)の使用にも長けていたといわれている。人類史上始めて、国王、皇族、国王の行動を監視する人々および貴族によって構成された立憲君主制をもっていたと言われているが、貴族はしばしば国王に反抗したというから、王権はそれ程専制的でなかったに違いない。立法、司法の制度は、当時としては革新的で法体系も整備されていて、厳罰を課すことなく、めったに死刑も執行しなかった。例えば、泥棒は盗んだ金額を返却することで罪をあがなったと伝えられている。600年の長きに亘り盛衰を重ねてきたヒッタイトは、王位継承に関わる内紛と海洋民族の外的脅威により紀元前1160年滅亡し、アッシリアに支配され小国に分裂した。しかし、最盛期、紀元前14世紀にはアナトリア半島ほぼ全部を掌握し、シリアとカナーン(レバノン・パレスチナ)の一部をも占有して、エジプト文化圏と国境を接していたのである。その後、ダリュウス大王の頃、ペルシャに併合された。
アレキサンダー大王はペルシャを滅ぼし、カッパドキアの統治に配下の将軍を当てたが、人々はこれに激しく抵抗し、自らペルシャの貴族を擁立し王とした。この王はアリアルテスと言うがその血族が、ローマの侵入まで統治を続けた。一時ポンタス(黒海沿岸にあった国)やアルメニアに蹂躙されたが、ローマが両国を滅ぼすとローマの属国となり、紀元前後、ローマに編入されてビザンティン時代をむかえる。ビザンティン時代前半は比較的平穏な時代であった。しかし、アラブ人の侵略に対しビザンティンは、キリスト教徒であったアルメニア人をこの地域におけるビザンティンの軍隊の重要な担い手とした。一方、アルメニアもトルコ族の侵入に侵されるようになったことから、アルメニア人はカッパドキアや北部シリア・メソポタミアに大量に移住して、十字軍の東征に呼応しアルメニア系の小国を建国するまでの勢力となっていた。
11世紀になると、セルジュークトルコのリーダーシップの元、トルコ諸部族がカッパドキアに侵入し定住し始めた。トルコ族の勢力が強くなってくると、カッパドキアはトルコ系の国の属国となり、住民はイスラムに改宗するようになる。12世紀になるとセルジュークがカッパドキアを支配したが、15世紀にはオットマントルコの支配下に入り、トルコ共和国建国とともに現在に至っている。カッパドキアは四千年の歴史の中で、民族は変わり、文化、習慣も変わり、言語も変わり、宗教も変わった。しかし、先にあったものが全て抹消されて新たなものが取って代わったわけでもない。例えば、ヒッタイトの紋様は陶磁器の装飾パターンとして残り、アダナとかシシップ等の街の名はヒッタイトに源を発するという。相克した様々な民族が混血し現代カッパドキア人となったのである。ひょっとするとモンゴルの血も流れているのかもしれない。四千年の歴史に裏打ちされたこの多様性と旅で出会った明るく開放的な人々が、アナトリア半島、カッパドキアの文化を豊かで魅力あるものとしている。(続)
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