ギョレメ屋外博物館
翌日のツアーは他に参加者なしで、結果として、運転手付きプライベートツアーになった。ガイドはF君そしてドライバーはC君。F君は30代のハンサム、カイセリ出身の英語の上手い経験豊富なガイドである。背はさほど高くないが、一見西欧人でトルコ人といった感じが薄く性格的にもオープンである。ドライバーのC君はアヴァノス出身、アンカラの大学でコンピューター・サイエンスを勉強している大学生。夏休み帰省中のアルバイトである。身体つきは頑丈で両方の眉毛が一本の太い線になりそうな風貌であるが、猛々しいといった感じはなく、いたって慎重丁寧である。両君ともに好青年、いいコンビと一緒に一日楽しめるなと直感した。
普通の村
車に乗り込んで15分も走っただろうか、谷間の村に着いた。村といっても、石窟住居が崩れる危険があって住民は退去してしまって無人であるが、小川沿いのぶどう棚のあるチャイハネが一軒観光客目当てに開いていた。この村はトルコ人とギリシャ人が雑居していたらしいが、ギリシャ人は住民交換でギリシャに帰ってしまったので、トルコ人だけの過疎の村になった。そして既に述べたように今は誰も住んでいない。史跡や文化的遺産など何もないごく普通の村がどんな様子だったかを見せてもらった。
モスク
ギリシア人商店の遺跡
ローズ・ヴァリー
ミナレットが短い煙突ほどしかない質素なモスク。ギリシャ人とトルコ人の商店が一軒ずつ、それらを囲み洞窟住居が谷間に肩を寄せ合うように残っている。商店の造りはギリシャのものが大きく、裕福であったに違いない。ギリシャ人が村の経済を握っていたのであろう。村を一巡して住居のある丘の上に出る。その先の岩石の色が赤っぽいローズ・ヴァリーを一望して村に戻り、ぶどう棚のチャイハネでチャイということになった。
村人の去りし谷間や杏子の実
話が婦人のスカーフ着用に及んだ。トルコはこの問題で沸いている。世俗的憲法はスカーフ着用を違憲としている。他方イスラム主義者達にとってはイスラムの教えが何者にも優先する。スカーフ着用はイスラムの教えであり、イスラム教徒の女性は着用しなければならないと主張して譲らない。国の体制は西欧的な世俗主義に基づいているが、西欧に対するイスラムのアイデンティティの問題も絡み合って、イスラムの教えを基本とすべきではないかとの世論が強くなった。その相克の一つの象徴がスカーフ問題なのである。半面、村やモスクの指導者としてのイスラムの長老の伝統的役割は近年衰えてきていると聞く。インターネットや都市のイスラム活動家にイスラムの軸は移りつつある。両君共にスンニ派のイスラム教徒であるが、原理主義的なイスラム教徒ではない。F君は良きモスレムでありたいという。しかしモスレムであるがイスラムの教えに盲目的に従うことには疑問が残る。自身納得が行かないことがあれば長老や友人に疑問を話し意見を聞くが、最終的には自分で決めると常識的である。ドライバーのC君は大学生である。大学には一般的にリベラルな空気がある。C君はF君に異議を唱えてはいないが、F君よりは世俗的なニューアンスが強いと感じられた。結局のところ、話が横にそれて、両君からスカーフ問題への明快な考えは聞き取ることはなかったが、イスラムを伝統や因習として盲信するのでなく、個人個人の信仰の問題と考えている事は確かなようだ。両君は都会人のようなリベラルかつ柔軟な考えを持った若者であり、このような若者が国を支える限りトルコの未来は明るいと感じた。いずれにしろ、コーランを文字通りに解釈適用してモスレム国家を鎖国するように建てることは最早現実性を失っている。
ここ数日、石窟教会、僧院、住居を見てきた。その全てが凝灰岩をうがった洞窟の中にある。その中でカッパドキア最大のキリスト教遺跡が、ギョレメ屋外博物館と呼ばれ世界遺産に指定されている。些細なことだが博物館というと芸術品や歴史的資料などを一所に集めて陳列し一般に公開する場所というイメージがあって、屋外の石窟寺院などの遺跡群をそのまま博物館と呼ぶことに一寸違和感があった。それはさておき、この遺跡は4世紀にキリスト教修行僧が定住したのが始まりといわれている。プロテスタントやカソリックに隠者的、修行僧的要素は薄いのではないだろうか。隠者、修行僧というとインドや中国が先ず思い浮かぶ。キリスト東方正教はカトリックより隠者的色彩が濃い。修行僧には合理主義とは肌合いの違う神秘性があって、西欧から東に向かうに従ってそれが濃くなってくるような気がする。村上春樹さんが「雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行」の中で、アトスのギリシャ正教の修道僧について記されている。カッパドキアでも信仰と向き合う修行僧はアトスに近かったのではなかったかと想像している。修行僧コミュニティがこの遺産の始まりと聞いて話が跳んでしまった。
屋外博物館①
この屋外博物館はギョレメの郊外、ユルギョップへ向かう丘の中腹にあって、他の遺跡はさておいてもここは外せない。石窟教会の天井や壁面に残されたフレスコ画が素晴らしい。西欧大寺院のツンと澄ました冷たさが薄く、柔らかく素朴で親しみがもてる。現存するフレスコ画の殆どがビザンティン時代、10~11世紀に描かれたものである。壁を剥いでゆけば、3~4世紀の優れたフレスコ画が現れるかもしれないが、残念ながら、初期に穿たれた教会や修道院は朽ちたり、新しい教会に吸収されたりしてしまった。
屋外博物館②
遺跡にはイスタンブールから夜行バスで来たのであろう日本人ツアーも3~4組石窟教会を周回見学していた。その日本語ガイドを追うようにして僧院、教会を見て周った。入口の正面に聖バジル礼拝堂、そして灰色の壁を背景に茶褐色のフレスコ画の素朴なエルマル・キセリ(Apple Church)。その背後の聖バーバラ教会。この教会はキリスト教を嫌った父親から投獄され拷問を受け殺されたが信仰をまっとうしたエジプトの聖人バーバラを祀っている。聖人のフレスコ画には昆虫や鳥が寄り添うように描かれている。その意味するところは不明だが、エジプトと何がしかの関連があるような気がする。
屋外博物館③
そして入口のフレスコ画の下に足跡が二つ残っているチャルクル・キセリ(Church with Sandals)。天井が低く細長い礼拝堂が簡素なユランル・キセリ(Snake Church)。蛇の教会とは奇妙な名であるが、聖人が龍を殺しているフレスコ画があることからそう呼ばれている。この教会はコンスタンティヌス大帝と聖オヌフリウスのフレスコ画でも知られている。聖オヌフリウスはエジプト、テーベの近くの砂漠に隠棲していた修行者で、長い白髪の顎鬚をはやし、無花果の葉で身を覆っていたという(フレスコ画の陰部は大きな葉で覆われていた)。名前どおり暗い教会はカランルック・キセリ(Dark Church)。ここのフレスコ画は新約聖書をテーマとしていて最も保存状態が良いと言われているが、50年ほど前までは鳥の巣だったそうだ。最後に、トカル・キセリ(Church of Buckle)。これまた妙な名であるが何故そう呼ばれているかは判らない。この教会はギョレメ近辺では最大で古い教会を拡張している。キリストの生涯と12使徒をテーマとしたフレスコ画が美しいが、中でもラプシラザリの顔料を使って描かれたキリスト磔像は、教会の天井を藍色に飾って厳かである。
このような教会群を造った修行者にとって、信仰は尽きるところのないエネルギーであったに間違いない。マンハッタンの摩天楼建設と同質のエネルギーなのだろうか。金儲けのためのエネルギーと心の糧を求めるエネルギー。両者の均衡をどう取ればいいのであろう。そんなことを考えさせる石窟教会群であった。まだ青みの残るアプリコットを口にしていたF君に「昼食にしましょう」と促されて、坂道を下った。(続)
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