旧市街

旧市街

 旧市街の中心はチャルシュ広場で、小さいながらも水飲み場と足を浸す程度の水場もあり、憩いの場であったに違いない。その広場に面してジンジ・ハマムがある。ハマムは蒸し風呂式共同浴場で立派な建物だが、残念ながら修復工事で閉鎖されていて利用することが出来ない。隊商宿ジンジハンはこのハマムに隣接している。そしてハマムの横にはモスク、アラスタ・バザールがある。宿場町に必要不可欠な施設はチャルシュ広場周辺に集中していて、旅人には誠に便利であったろう。長旅の後、隊商宿に投宿して、向かいのハマムで身を清め体を清潔にしてモスクで礼拝する。そしてバザールに出て食事や買物をして時間を過ごすといった寸法であったに違いない。

モスク
バザール辺り
バザール辺り

 夕食前にチャルシュ広場からバザール辺りをぶらりと歩くことにした。バザールは観光客相手のお土産屋が殆どで、特にこれと言って目新しいものも見当たらないが、しいて言えば、オスマン風の伝統家屋の模型や玩具がサフランボル土産として店頭を飾っていた。サフランボルの名物と言えば、ロクムと呼ばれるお菓子がある。このお菓子は日本の求肥(白玉粉に砂糖を入れて練り上げて和菓子の皮やみつ豆の添え物などに使う)に似ている。チャルシュ広場付近にはロクムを売るお菓子屋が多い。ロクムは随分古くからあったらしい。18世紀にヨーロッパから砂糖が入ってくると、トルコの菓子作りは活発になった。そんな中でロクムも新たに工夫されて、トルコの代表的なお菓子といわれるまでになった。又、ヨーロッパにも19世紀イギリス人によって紹介されて「Turkish Delight」と呼ばれるほどである。しかし、なぜサフランボルの名物がロクムなのか判然しない。新聞社が発表している「ロクムの美味しい店トップテン」リストがあって、4店はイスタンブールが占め、サフランボルの店は1店が4位にランク付けされているのみである。このリストからも「ロクムはサフランボル」は確然と見えてこないのである。

ぶどう棚のカフェ

 マーケットを巡るうちに、イギリス人の中年夫婦に何度か出くわした。ホテルが同じと言うこともあって親しくなってビールでも飲もうと、ぶどう棚のカフェに入った。トルコを車で一ヶ月旅行するという。男性はオーストラリア人で、ロンドンの日系の電気メーカーに勤めている。女性は教師だ。これからカッパドキアに行くとのこと、私の些細な情報、経験をご披露したのだが、どうもこの男性落ち着かない。「車を取られたかもしれない」と言うのだ。ホテルの入口で車を降りて荷物を運び、車に戻ってみると車がないという。ホテルスタッフに聞くとガレージに入れたとの返事であったが、後刻確かめてみるとガレージにそんな車はないとの返答。更に調査するよう要求してホテルを出てきたのだそうだ。レンタカーにしろ盗難とあってはあとの処理が面倒だし今後の旅行にも支障が出る。警察にレポートしたらどうだというと、もう少し様子を見てからにするとのこと。それではビールをもう一杯と世間話をして別れた(翌朝の朝食で顔を合わせる、車はガレージにあったと嬉しそうにご報告いただいた)。ホテルスタッフの不手際は論外として、思うにこの男性の杞憂は、仮に彼がトルコ人でトルコ国内を旅行していたとすると起こる可能性は低かったに違いない。物事の勝手が違うと不安で誤解も生まれやすい。外国人が言葉も習慣も違う国を旅行するとそういうハプニングは避けえない。苛立たしいハプニングが鮮明に記憶に残るのだが、旅の後、なんとも言えない懐かしさがこみ上げてくる。それが未知の国を旅するということなのかもしれない。

 旧市街の南にフドゥルルックの丘がある。サフランボル旧市街を俯瞰するに最適な場所と聞いて、路を尋ねながら坂道を登り始めた。最初に尋ねた人の指差しで遠回りの路を歩くことになったが、お陰で陽気な若者二人にも会えた。兄と弟、荷物を持って坂道を歩いていた。道を尋ねると、「ついておいで」と丘にある公園の入り口まで案内してくれた。絶えず笑顔で話しかけてくる。この笑顔が明るくて素晴らしい。言葉は通じなくとも、素朴な善意が十分伝わってくる。丘に着くと手を何度も何度も振って別れを告げ更に丘を登っていった。

若者二人
向かいの丘の傾斜
向かいの丘の傾斜

丘からは旧市街が目前に広がる。ハマムなどの建物が谷底に窮屈に肩を寄せ合い、向かいの丘の傾斜には伝統家屋の白壁と褐色の屋根が木々を間に挟みながら競い合うように建つ。この伝統家屋の家並みが世界遺産で、かつ、人の住む住居なのである。したがって、内部を公開している家屋は少ない。

カイマカブラル・エヴィ①

丘の真下に公開されている家屋がある。急な石畳の小路を下ってカイマカブラル・エヴィと呼ばれるその家屋を見た。18世紀初頭、サフランボル兵舎長のハジュ・メフメト・エフェンディが建てたと言われている大きな三階建ての館である。かつてトルコも大家族制で、親子兄弟三世代の家族が一軒の家に住んでいた。

カイマカブラル・エヴィ②

一寸話がそれるが、オルハン・パムーク(トルコの作家、ノーベル文学賞受賞)が子供の頃住んでいたイスタンブール、タクシム広場近くの家について書いていた。詳しいことは忘れてしまったが、お祖父さんが金を儲けて、大きなマンションを建てた。そのマンションにお祖母さん、叔父さん達と一緒に住んでいて、お祖母さんの階、叔父さん達の階を遊び周ったときの思い出を述べていた。トルコでは大家族が一緒に住んでいたと聞いて、パムークが述べていた家もただ家が大きいから一緒に住んだと言うだけでなく、トルコの伝統の延長線上にあったのであろうと理解できたのである。

 一階は土間であったようで、今は見学者ロビーと生活用具の展示場になっている。昔は厩のような機能も兼ね備えていたに違いない。二階に上がり三階までを周回するのだが、我々の家の概念と著しく異なるのは、女性用に隔離されたスペース(外からは見えない工夫がされている)があることではないだろうか。その意味ではトプカピ宮殿も同様で、男子禁制のハレムがある。もっとも、現代の新築家屋にそのようなスペースを作るとは思えない。建物はかなり大きく、概ね男だけのエリア、女だけのエリアそして個々の家族のエリアの三つに区分できる。夫々の部屋に等身大の人形が飾ってあって、当時の生活の様子がリアルに判るよう工夫されていた。正直言って、イスタンブールの豪華絢爛な寺院、宮殿、そして特異なカッパドキアの石窟教会と住居の後、少々物足りなさがあることは否めない。それだけ私達の生活と距離が近いと言うことなのだろう。(続)



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