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ガラタ
イェニ・ジャミー周辺は金角湾がマルマラ海に開ける辺りで、エミノニュ・スィルケジ地区と呼ばれていて、イスタンブール市内の交通のハブである。ヨーロッパ各地に繋がる鉄道の終着駅スィケルジ、バスとドルムッシュ(私営小型バス)のターミナル、近郊への連絡船ターミナル、そして新市街、空港、オトガル(長距離バスターミナル)にアクセスするトランヴァイなどがあって、朝夕は通勤客そして日中は観光客で混雑する。しかし、まだまだ長閑でのんびりしていて、桟橋では、コンクリートにへばり付いたムール貝を獲ったり、ガラタ橋では釣りを楽しんだりしている。イェニ・ジャミーからレサディイェ通りを横切ると目前は連絡船桟橋で、コンロで鯖を焼く臭いが鼻を突く。何とも日本的な臭いで懐かしい。焼いた鯖を玉葱などの野菜と一緒にパンに挟んで食べる鯖サンドがエミノニュの名物である。頬張ると焼きたての鯖が口いっぱいに広がり、パンとの相性もいい、不思議な取り合わせでかつ素朴な味である。
フェリー
エミノニュ・スィルケジ地区
終着駅スィケルジ
金角湾入口付近から新市街を望む
新市街と旧市街を結ぶ橋は、金角湾の奥の方からハリチ橋、アタチュルク橋、ガラタ橋と三つあるが、イスタンブールの名物橋といえばガラタである。金角湾に掛けられた最古の橋は6世紀、ユスティアヌス帝の頃、コンスタンティノープル西北部テオドシウス城壁の近くに設けられたと伝えられている。16世紀初頭に橋の建設が検討された。レオナルド・ダヴィンチに橋のデザインを依頼し、長さ240m、幅24mの橋が設計されたがスルタンの承認が下りず、ミケランジェロにも設計を依頼したがミケランジェロはこれを受けなかった。ダヴィンチの設計は当時としては前代未問の新技術とデザインの橋で、完成していれば当時世界最長の橋となっていた筈である。その後橋の建設の話は途切れていたが、1836年に現在のアタチュルク橋の辺りに橋が建設された。平底船を連ねた上に作られた長さ500メートルにも及ぶ橋でハイラティエ(恩恵)橋と呼ばれた。1845年に現在の位置に初めて橋が建造され、人々は通行料を払って渡橋したという。その後、1870年、1912年に橋を建て直し、現在の橋は長さ490メートル、幅42メートルの可動式跳ね橋で1994年に完成開通し、トランヴァイの線路が後日加えられた。
エミノニュからガラタ橋を渡る路はカラキョイからガラタ塔、イスティクラール通りを経てタクスィム広場に至るが、新市街のこの地区はガラタ(ギリシャ語の「ミルクーGaraktos」もしくはイタリア語の「階段ーCarata」に由来すると言われている)とも呼ばれていて、19世紀まではジェノア人の構築した壁に覆われていた。ビザンティン時代、ガラタは東方正教の街コンスタンティノープルから北に金角湾を挟んで、ラテン、カトリック教の植民地として建設され、ジェノア、ベネチアが支配していた。オスマンの征服後は、主にギリシャ人、ユダヤ人の居留区となり、非モスレム地域であった。19世紀外国人に治外法権を認め、ガラタは外国人が牛耳るオスマンの金融・商業の中心地と成っていった。政府はガラタの銀行から莫大な借金を抱えていたのである。オスマントルコが財政的に逼迫すればするほど、ガラタは外国の公大使館、教会、豪華な邸宅やアパート、ショッピング・センター、学校などの集まる豊かなコスモポリタン、かつ先進的な地域に変貌していった。ヨーロッパ各国の言葉が話され、イタリア人、ドイツ人、フランス人、英国人、アルメニア人、ギリシャ人、ユダヤ人、ハンガリア人、ポーランド人そしてロシア人は夫々のコミュニティと教会を維持していたと言う。勿論イスラムを信仰する人々も多数住んでいたが、ガラタの色濃い西欧的色彩を如何とも出来なかった。その意味では、ガラタ橋はイスタンブールの帝国の宮殿や主要なイスラム寺院に代表される伝統的オスマンの街と、非モスレム教徒が多数を占め外国人が居住する街という異なった二つの文明を結ぶ象徴的な橋であった。
ガラタ塔からガラタ橋、旧市街を望む、 手前は金角湾
ガラタ橋からやや急な坂を登った中腹に高さ65メートルのガラタ塔が立つ。6世紀頃灯台として建てられたのだが、周辺に住み付いたジェノア人が監視塔として利用したり、牢獄や天文台に改造されたりして、現在は展望台として観光客を楽しませている。展望台といっても塔の上部周囲に狭いテラスを取り付けただけで、そこに観光客が押し合いへし合いしながら眺望を楽しんだり写真を撮ったりしていて、360度開けた素晴らしい眺望をゆっくりと堪能する雰囲気はないが、イスタンブール旧市街を遠望する場所としては他に類なしと言っていいだろう。ガラタ塔からタクスィム広場まで1km程続くダラダラ坂はイスティクラール通りと呼ばれていて、レストラン、カフェ、ブティック等の高級店が軒を並べるイスタンブール銀座である。ガラタのみならずイスタンブールの西洋的な格好良さのショウウィンドウともなっていて、歩行者天国の通りを市民、観光客がウィンドウショッピングを楽しみながら散策する光景は大都市で普通に見られる光景であって、イスタンブールならではといった特色は薄い。タクスィム広場は、共和国記念碑として20世紀始めに建設されている。パリの凱旋門などをイメージしているのであろうが、それ程の威圧感はない。新市街の交通のハブであり人通りも多く、傍らに花屋が並んでいたりしていて、庶民的な雰囲気がある。この辺りが新市街の中心で、東、ボスポラス海峡には、ドルマバフチェ宮殿、北には銀行、航空会社、外国公使館等のオフィスが並んでいる。オスマン時代にはイスラムとは異なる個性の強い街であったに違いないが、共和国が建国されほぼ85年、ガラタに幾世代にもわたって居住していた非イスラム教徒たち大半も去って、ガラタ塔周辺にはオスマン時代の雰囲気を未だ残しているものの、その個性は薄れて、近代都市イスタンブールが街の隅々にまで浸透しつつある。(続)
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