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メヴレヴィの旋舞(Whirling Dervishes)(その2)
さて、スィケルジ駅構内で見た旋舞のパフォーマンスだが、300人ほどの人を集めて夕方開演された。旋舞はセマと呼ばれる宗教的儀式であって、観光客向けのアレンジは全く感じられず、メヴレヴィ教団や旋舞の説明なしに、音楽を奏でる10人に満たないメヴレヴィ僧が着席すると演奏を始めた。音楽の演奏には定まった順序があり、先ず、フルート、太鼓に合わせ合唱が始まる。合唱といっても、教会の賛美歌と仏教の読経の中間的な響きがあって、時に唱、時に吟といった風で、音程には高低の差が余りない。リズムは緩慢で眠りに誘われる感じがする。セマは1時間程演じられるのだが、音楽はその間、トーンに殆ど変化なく続くのである。楽器や演曲にも夫々意味や象徴があるらしい。演奏が30分ほど続くと、旋舞僧が登場する。五人の旋舞僧は踝までの白のロング・スカートに白のシャツ、その上に黒のロング・コート、頭には土色のトンガリ帽子をまとっている。帽子は自我の墓石、ロング・コートは墓、ロング・コートの下の白の衣装は死、そして衣装全体は自我の死を象徴している。旋舞僧は一人一人、右手を左肩口に、左手を右肩口にあてるように胸の前で組み、ゆっくりと目を伏せて観客の前に立ち深々とお辞儀をし、踊りの準備に入る。羊の皮を敷き、その上に脱いだコートを畳んで置く。これらの所作のいちいちが定められているらしい。そして舞に入っていく。僧は間隔を置き胸に手を組んだまま踊場をゆっくりと歩き、僧の全員が位置に付くと、一人が歩きながら体をゆっくりと回し始める。体の回転が少しずつ速くなっていく。胸に当てられていた手も緩やかに解かれ回転するにつれて挙がる。肩の上まで上がると、左手は上を右手は横を指す。頭を少し傾ぎ、眼は閉じている。そして正確なリズムにのって回転が踊り場を廻りながら続く。全ての旋舞僧が踊りに集中する。どう表現してよいか判らないが、僧の顔は日常を越えて、一点に集中しているという感じだが険しさがない。こうして僧は雑念を除き、集中しトランス状態に入る。旋舞は自転を続け太陽を回る地球を象徴するとも言われている。世間離れした雰囲気と音楽、そして何より神秘的な踊りに圧倒されて観客は声もない。4~5曲を30分ほどで踊り終えると、旋舞僧は身づくろいを整えてロングコートを羽織り、丁寧にお辞儀をして一人一人退場する。パフォーマンスが終わると、ホールにざわめきが戻る。旋舞を観て、心が少し清清しくなったと感じながら、観客は三々五々スィケルジ駅を後にしたに違いない。
不思議な体験であった。自我を滅し没我の境地に入る修行、つまり、信仰を純化する修行は、どの宗教にもあるのであろう。我々に身近な修行は、山に籠もったり、滝に打たれたり、座禅を組んだり、一身に読経したりすることである。音楽や舞によって没我を達成するという発想は少々奇異だが、メヴレヴィ教団の人々にとっては疑義の余地はないのである。基本的には、神と共にありたいと強く希求しそれに集中できれば、手段は何でも良いということなのだろう。旋舞がきっかけとなって、メヴレヴィ、スフィズム等聞きかじり程度にでも知る機会を得たし、一言ではくくりえない多様性がイスラムにもあること、仏教と底辺では共通する基盤があること、大宇宙と個々人とのかかわりが科学、哲学のみならず、宗教の大きな命題であることなど認識できたことは、トルコ旅行の大きな成果だと考えている。警策で肩を強く打たれそうな気がするので、生半可はこの辺で終止符にしたい。(続)
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