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ボスポラス海峡(その1)
ボスポラス海峡は長さほぼ30km、幅3700m~700m、水深36~124m、北の黒海から南のマルマラ海を走り、ヨーロッパとアジアを画然と分ける。黒海からはマルマラ海、エーゲ海そして地中海へと抜ける唯一の水路で、軍事的、経済的に非常に重要な国際水路である。古代、この地区はギリシャ文明の圏内にあった。紀元前5世紀頃、アテネはボスポラス周辺の都市国家(メガリアン、ビザンティウム等)と同盟関係を維持し、スキティア(現在のウクライナ辺り)からの穀物の確保に腐心したという。ボスポラスという地名もギリシャ神話に由来していて、「牛が通る浅瀬」を意味している。ゼウスはアルゴスの河の神の娘イオを愛したが、女神ヘラが妬みイオを殺そうとした。ゼウスはイオを牝牛に変えこの海峡を渡って逃げさせたのだと言う。その後、歴史的にもこの海峡を廻る攻防は数々あったが、現在は国際水路としてトルコ政府の管理に委ねられているのだが、今でもこの水路の帰趨はロシアやコーカサス諸国にとって死活問題ともなりかねない。
ボスポラス海峡のフェリーから ドルマバチェ宮殿を望む
難しい話は別として、ボスポラス海峡はトルコでも一、二の景勝地で、友人から是非とも足を運ぶよう勧められていた。周遊観光には、エミノニュから黒海に近いアナトリア側のアナドル・カヴァウ港までを往復する観光連絡船を利用したのだが、連絡船といっても乗船客はほぼ観光客で、寄港地での乗り降り自由、料金は連絡船並みに安価に設定されていて、気侭にボスポラスを楽しみたい向きには利用勝手がよい。思ったより大きな1000トン程の船に乗船し、チャイを飲みながら海風を楽しむ内に船は金角湾を離れて、北に向かった。短時間のクルージングながら、船出はロマンティックで心が弾む。十分ほどで西岸、ドルマバチェ宮殿に停船する。宮殿は波止場に近い。と言うより宮殿に船着場施設があったものを連絡船の波止場として使っているのであろう。オスマン朝末期スルタンはトプカプを去って、ここを居所とした。旧来の木造の宮殿を1843年から10年の歳月を掛けて埋立地に建て直した現在の宮殿は、バロック様式とオスマン様式を折衷した総面積15000㎡、部屋数285の壮大な宮殿である。勿論ハレムも設けられている。また、アタチュルクもこの宮殿を官邸として使っていたそうだ。海から見る西欧風な建物は誠に美しいが、残念ながら宮殿内部は観る機会を逸してしまった。
宮殿付近の新市街
ドルマバチェ宮殿の北にボスポラス大橋、そして彼方にファーティフ・スルタンアフメット大橋が海峡をまたぐ。海面から64mに架かるボスポラス橋は1973年に建設された吊橋で長さ1074メートルに及ぶ。また、5kmほど先のファーティフ・スルタンアフメット大橋も吊橋で長さは1090mあって、1988年に完成されている。船から見上げる両橋は空を覆うように巨大で、通行する車が玩具のように見える。正にヨーロッパとアジアの架け橋としての重責を担っているといった充実感が伝わってくるようだ。現在はこの二橋だけだが、ボスポラスがマルマラ海に注ぐ辺りに鉄道用の海底トンネルを日本の建設会社が建設中で、2009年末には開通の予定と聞く。また、ファーティフ・スルタンアフメット大橋の北にも橋の建設が計画されているらしい。
ボスポラス大橋の辺りから、海峡は徐々に狭くなり、水を満々と湛えた大河のような様相を呈してくる。両岸オスマントルコ時代、避暑用として立てられた宮殿そして金持ちの瀟洒な邸宅や別荘が、岸辺や丘の上に建ち、木々の緑、海の青とあいまって誠に美しい。しかし、イスタンブール下町と比べると別世界であって、トルコの貧富の落差を感じずにはいられない。アナドル・ヒサルとルメリ・ヒサルを抜ける辺り、海峡の幅は750mほどに狭まり、潮は早い。そして黒海に向かい海峡はまた緩やかに開けていく。その辺り西岸のイェニキョイという小さな町で下船し、ボスポラス沿いに陸路をエミノニュに南下した。(続)
ボスポラス大橋
邸宅群
ルメリ・ヒサル
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