女性管理職ウィーン駐在記


ヨハン・シュトラウス
女帝マリアテレジア モーツアルト

 2005年6月12日(日)21時35分。成田からフランクフルト経由で、私はオーストリアの首都ウィーンにあるシュベヒャート空港に降り立った。周囲からは会社初の女性海外営業支店長と期待していただいていたようだが、当の本人にしてみれば、初は初でも「この年齢になって初の一人暮らし、しかも初の海外生活!」という不安の方が大きい。とはいえ、ザッハトルテとコーヒーを楽しむカフェが街並みを彩る音楽の都。響きは優しい・・・、そうだ、大丈夫に決まってる!と腹をくくっての赴任だった。


 こうして始まったウィーン生活。日本を発つ前は、ハプスブルク家最後の后妃エリザベートの気分に勝手になっていたが、在任4年の間になぜかハプスブルク家でも女帝マリア・テレジアのような肝っ玉母さんになっていた。いったい、何が私をそこまで強くしたのか?



1.不便な暮らしを楽しむ

バスとトラムの停留所 シュテファン寺院

 ウィーンの森と美しく青きドナウに囲まれたオーストリアの首都ウィーンには、東京都と同様に23の区がある。仮住まいとして当初1ヶ月ほど過ごした19区は、世田谷区と姉妹区関係にあり大使公邸や、なんと日本庭園「世田谷公園」もある高級住宅街だった。市の中心部1区にあるオフィスまでは、いくつかのルートがあり、その日の気分でいろいろな手段を乗り継ぎながら40分程の通勤だったが、どれも快適に空いていて、東京の通勤ラッシュを逃れ天国の通勤気分である。特にその日の気分でどの手段、ルートを選んでも定期券の利用が可能なのはありがたかった。ヤーレスカルテ(年間定期券)は、23区内のほとんどの地域をカバーしていて、その範囲内であればバス、トラム(市電)、地下鉄、郊外電車すべて共通で使えるルート指定無し、しかも年間449ユーロ(6万円弱)という優れものだ。1ヶ月ほどで1区内にアパートを見つけ、徒歩通勤となったが、あまりの便利さにこのヤーレスカルテはずっと持ち続けていた。

リンク通り

 オフィスとアパートがあった1区は、シュテファン寺院を中心とするリンク通り(城壁跡)に囲まれた旧市街であり、世界文化遺産に指定されている。ここで、これぞウィーン生活、というアルトバウ(築100年くらいの建物)を見つけることができた。しかも、リフォームされているアルトバウ暮らしは、歴史ある建物の美しさと内装や機能の新しさを併せ持つなんとも贅沢なもので快適だった。天井高3.5mの大きな窓から眺める青い空と中庭の緑、聴こえてくるのは鳥の囀りとシュテファン寺院の鐘の音、おお!わが街ウィーン!


アパート Domgasse

 シュテファン寺院の裏手にあるアパートの住所は、Domgasse(直訳すれば大聖堂小路)の8番。モーツァルトが「フィガロの結婚」を作曲した、最も充実していた時期に住んでいたアパートがDomgasse5番で、私のアパートの斜め前に現存していた。現存、と言っても2006年のモーツァルト生誕250年を記念して博物館「モーツァルト・ハウス」に衣替えし、ちょっと厚化粧し過ぎ?という感はあったが。なにしろ、この小路をモーツァルトや、彼を訪ねてきたベートーベンが歩いたのである。すぐそばには、シューベルトが通っていた居酒屋があったという建物もあった。ハイヒールには歩き難い石畳だが、そんな歴史に思いを馳せると、すごい場所に住んでいる!と感動した。


 ここまで読むと、じゃあ、いったい何が不便だったのか?と突っ込みたくなるだろう。その際たるところは、ドイツ語の国だったということだ。街の中心に住んでいたのでだいたい英語は通じたが、看板や駅のアナウンス、また日用品のラベルなどドイツ語のみのものも多い。ある日、「長」のつく立場にある日本人駐在女性3人で、いそいそと地下鉄に乗って飲茶を食べに出掛けたときのこと。さぁ、次の駅だわ・・・「えー、駅がない!?なんで?!」なんと、降りるはずの駅を通過したのである。しかもその次の駅までの距離の遠いこと。仕方なく、反対方向に乗り換えて戻り、再度その駅を通過して隣の駅へ。そこからトボトボと歩いて向かう羽目に。あとで聞くと工事のため1ヶ月間駅が閉鎖とのこと。一応ドイツ語のアナウンスはあったらしいが、そんなものわからない!まぁ、日本のおばさん3人がかしましく喋っていればアナウンスが日本語であっても聞こえなかったかもしれないが・・・。それにしても、都会の地下鉄で1ヶ月も駅を閉鎖して工事なんてこと、東京じゃ考えられない。


ご飯茶碗でアイスクリーム

 また、オーストリア以外でも欧州生活では体験者は多いことと思うが、日曜・祭日には買い物が出来ない、という法規制には当初まいった。深夜営業もできないので、当然コンビニもない。買い物は計画的にしなければ、日曜日にキッチンに立ってギャー!っとなりかねない。欲しくても、牛乳1本買えないのだ。だから、あるもので何とかできるメニューに突如変更するか、手持ちの代用品を使うしかないことになる。さらに、些細なことだが洗濯用に粉石鹸を買っても、掬うためのスプーンなんて便利なおまけは付いてこない。それらしき物も売っていない。悩んだ私は、「これならバスルームに置いておいてお洒落だわ」とガラス製のエスプレッソ・カップをスプーン代わりに購入した。こうして、いつでもなんでも買える、もしくはあったらいいな、がちゃんと与えてもらえる生活が転勤で一変した。だが、計画性を身につけると同時に創意工夫、といえば聞こえはいいが、なんでもOKの楽しさを学んだ。こんな生活が柔軟な考え方、受容の心を育てるのではないだろうか。日本贔屓のオーストリア人宅では、コーヒータイムにシュガーポットとして日本の茶碗蒸し椀が登場し、デザートのアイスクリームは小ぶりのご飯茶碗で出てきた。なんとも楽しい演出に心躍った。人間、ちょっと不便な方が人生を楽しくする術を身につけるのではないだろうか。



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