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女性管理職ウィーン駐在記
4.中・東欧諸国との出会い
ウィーンのオフィスで担当していた15カ国はビール消費大国以外に、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボがあった。
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| 汎ヨーロピアン・ピクニックの記念公園にある象徴的な東西の扉 |
1943年に成立したユーゴスラビア民主連邦が91年以降紛争を繰り返し、私が赴任した2005年当時はスロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロの5カ国に分裂していた。そして、在任中にモンテネグロが、さらに(承認していない国もあるが)コソボが独立した。その結果15カ国を担当することになったのだが、オーストリア以外はすべて冷戦時代の「東側」だ。ベオグラード(セルビア)に残る1999年のNATO軍空爆のまま放置されている建物のような直接的なインパクトはないものの、オーストリアとハンガリーの国境地帯でベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)の引き金になった汎ヨーロピアン・ピクニック(1989年8月19日)の現場に立ったとき、ブカレスト(ルーマニア)に残る巨大なチャウシェスク御殿を目の当たりにしたとき、私が何不自由なく暮らしていたついこの前、ここで苦しんでいた人々がいたことに胸が締め付けられると同時に今日の自由を勝ち得た民衆の強さに鳥肌が立った。1968年のチェコスロバキアの変革運動を舞台とする「プラハの春」(春江一也著)や1989年のウィーンの様子とルーマニア革命に至るまでの東欧に生きる人々の苦しみ、重たい空気が伝わってくる「百年の預言」(高城のぶ子著)など、土地勘があるなかで読むことで、冷戦時代を生きていた主人公たちを他人とは思えなくなり、読み耽ってしまったものだ。
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| 巨大なチェウシェスク御殿 |
「プラハの春」に登場する「カフェ・スラビア」 |
小説「百年の預言」に登場するウィーンのカフェ「ラントマン」 |
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| 「スラブ叙事詩」を観ることができるモラフスキー・クルムロフ城 |
ウィーンからは、仕事でこうした担当国を訪問することが多かったが、チェコやハンガリーには休日のドライブで出向くこともあった。そんななかで特に印象的だったのが、モラフスキー・クルムロフ城(チェコ)でアルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩」と出会ったことだ。それまで私にとってのミュシャはパリのアールヌーボーのポスター画家であり、好きではない部類に入っていた。ところがこの日、1000年におよぶスラブ民族の歴史を巨大なキャンバスに描いた20枚の連作「スラブ叙事詩」に出会い、生まれて初めて絵画に衝撃を受けるという経験をした。とにかく大きい!それがボロボロの古城のなかの体育館のような空間にダーっと展示してある。その絵は、それまで私が見たミュシャのポスター画とはまるで異なる力強さ、色使いであり、訴えてくるものに圧倒されて息を呑んだ。それまで深く考えることのなかった「民族」という概念にも目を向けるようになった。
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| 聖ヴィート大聖堂にあるムハによるステンドグラス |
「スラブ叙事詩」は、スラブ人ムハ(チェコ語読み)の魂の作品だ。スメタナの交響詩「わが祖国」に影響を受けたとも言われているが、パリでミュシャ(フランス語読み)として活躍して得たものは、50歳から取り組んだこの連作にすべてつぎ込んだそうだ。ムハが祖国のために17年を費やしたこの大作「スラブ叙事詩」。1928年にムハが無償でプラハ市に寄贈したにもかかわらず、1939年の彼の死後、共産主義国家となりずっと公開されずにいたが、1963年よりこの古城で展示してくれたことにより、私は出会えた。プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスもミュシャというよりも、ムハらしい作品である。
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| ベオグラード空港のクリスマスツリー |
もうひとつ、忘れられないのがマケドニア視察である。マケドニアは在オーストリア特命全権大使の兼轄地であることから、2008年4月にオーストリア日本人会法人部が大使と共に視察に出向いた。マケドニアの首都スコピエの空港は実に懐かしい佇まいのままだった。在任中にブダペスト、プラハ、ベオグラード、ソフィア(ブルガリア)、ワルシャワ(ポーランド)、リュブリアナ(スロベニア)と中・東欧ではすごい勢いで空港ターミナルの改築が行われ、いずれも明るく機能的な空港になったが、スコピエでもターミナルビルの建築工事が進んでいた。この空港の名は、アレキサンダー大王空港。マケドニアと聞くとまずイメージするのが彼だが、アレキサンダー大王の時代のマケドニアという地域は広大で、現在のギリシャとブルガリアも含まれていた。そこで、このマケドニアという国名を許さん!とマケドニアに強い嫌悪感を抱いているギリシャの強い反対でマケドニアはNATO(北大西洋条約機構)に加盟できていない。私達がマケドニアに向かう3日前、これをきっかけに議会は解散。その結果、私達は予定していた大統領表敬訪問とマケドニア・日本友好議員連名との会食会がドタキャンとなってしまった。因みに、ブルガリアもマケドニア語がブルガリア語とほぼ同じことから、マケドニアは民族的にはブルガリア人の国だといってマケドニア人を認めていない。
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| 2006年JALの旅客チャーターが初めてブダペストに(水のアーチで歓迎) |
クリスマスシーズンのプラハ空港出発ロビー |
ソフィアの空港の到着ロビー |
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| ワルシャワの「ショパン空港」 |
リュブリアナの空港の搭乗口 |
ターミナルビルの工事が進むアレキサンダー大王空港. |
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| イコン画に圧倒されたオフリド湖畔の教会 |
旧ユーゴスラビアの国々は、民族、言語、そして宗教が絡むかなり難しいエリアであり、歴史は複雑だ。マケドニアはその中でも唯一平和に独立を達成した国ではあるものの、マケドニア人は人口約204万人の70%にすぎず、25%はアルバニア人、さらにはトルコ人という民族構成だ。マケドニアは東方正教系のマケドニア正教だが、そのような人口構成のため、イスラム教徒も多い。歴史ある国で訪れることができたイコン博物館や、マケドニア正教の教会はいずれも興味深いものであったが、林立するモスクを見下ろすように山の頂上に立つ巨大な十字架、さらに男性ばかりのトルコ人街の共存など、それまで私の経験したことのない空気を持つ国だった。そんな国でアルバニア系武装勢力とマケドニア軍との武力衝突があったのは2001年のことであり、まだ10年経っていない。実は、マケドニアでは少子化問題がある。平均が2に届いてないそうだ。それに比べ、アルバニア人は5~6人の子供というのがざらで、今後ますます人口比率が問題になりそうだという。
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