女性管理職ウィーン駐在記


5.営業は国境を越えて


ハンガリー(手前)とスロバキア(奥)の国境はドナウ川

 日本人にとって、陸続きなのに厳然とある「国境」というのは不思議な存在ではないだろうか。鉄のカーテンこそなくなっていたが、着任当初は私の担当する国々はすべてシェンゲン協定に加盟していなかったため、どこの国を往復するにもパスポートチェックがあった。シェンゲン協定とは、欧州内で協定国の領域内では共通の出入国管理をして国境での管理を廃止するもので、2009年4月現在31カ国が加盟し25カ国で実施している。つまり、シェンゲン協定の実施国間を飛行機に乗って移動する場合、国内線の搭乗時のように到着後なんのチェックもなく街中に向かえるし、陸路の場合、道はなにごともないように続いている。



 スロバキア、チェコ、ハンガリーなどとの陸路でのシェンゲン協定が施行されたのは2007年12月20日だった。それまでは、オーストリアから車で向かうと、ここまでがオーストリア、ここからがスロバキア、ここからがハンガリー、ここからがチェコ・・・という検問所がありパスポートや荷物のチェックが行われていた。そこで通貨が変わり、言語が変わる。ドイツ語も大してわからない私だが、国境を越えるとまったく理解不能の文字の看板が現れる。もちろんシェンゲン協定とは言っても国がひとつになるわけではないので、言語や通貨が国境で変わるのは今も同様だ(現在スロベニア、スロバキアの通貨はユーロとなっている)。国境を超えると壁も線もないのに、明らかに違う国に入ったとわかる。


高速の料金所のようなスロバキアの検問所

 話は、担当する国々がこのシェンゲン協定の実施国になる前のことだ。ある日、二人の営業担当が車でスロバキアへの営業に出た。ところが、なんと一人がパスポートを忘れていたことが国境で発覚し、彼は敢え無く国境越え営業を断念する羽目に。とは言え、すぐ横に電車の駅やバス停があるはずもなく、同乗していたもう一人が業務を終えて戻ってくるまで4時間余り国境で待ち続けるという情けない事態に陥った。ご存知の方も多いだろうが、陸路で国境越えをする際、二カ国の検問所の間にわずかながら緩衝地帯のようなところがある。いつもそうだったが、オーストリアは出て行く際には寛大でノーチェックだ。つまり、このとき彼がパスポートを所持していないことが発覚したのはスロバキア入国の際であり、結果この緩衝地帯でずっと待ち続けることになったのである。


 ようやく相棒が戻ってきて喜んだのも束の間、なんとオーストリア入国に際して「パスポートを持っていない」と入国を拒否されてしまったのである。「だって、出国させてくれちゃったのはこの国でしょが!滞在許可も労働許可も取得している!住民票だってある!」と二人の日本人が英語で抗議したところで埒が明かない。一生、この小さなどっちの国とも言えない緩衝地帯の中で生きていくのか?!・・・こんなときは弱ラテン系のオーストリア人も頑なだ。罰金の支払いによる解決しかない。こうして、当の本人の心境で言うならば、彼はお金で九死に一生を得たのであった。


国境を越え、ハンガリー側に入って最初の駅に停車

 列車での国境越えで、私もとんでもない目にあったことがある。その日昼頃にブダペストにいる必要があったため、ウィーンから8時25分発の列車で向かった。新幹線ならば1時間かからない距離(約250キロ)だが、彼の地の列車ではまだ約3時間かかる。いつものようにウィーンを発ってすぐに“Grüß Gott!”と笑顔のオーストリア国鉄の車掌が検札に来た。ここから国境まで約1時間、車内放送は短いながら英語もある。列車に乗っているとなぜかここだ!と感じるほど景色が変わるのが国境だ。シェンゲン協定実施前だったので、その国境の最寄駅に列車は停まり、ほどなくオーストリア、続いてハンガリーの検問係官が回って来た。まずは“Grüß Gott!”と笑顔がってきて出国スタンプ。続いて“※▲□×~”と厳しい顔がやってきて入国スタンプ。余談だが、旧東側諸国では、未だに「制服を着ている=国家」のような威圧感を残している人が多く、このような状況における関りだけは最後まで好きになれなかった。個人としての一人ひとりは全然そんなことないのに・・・。


車窓に広がるのはまさに「ここはどこ?」という景色のハンガリー

 さて、10分程度の停車で列車はハンガリー国内を走り出した。すると次に“※▲□×~”とハンガリー国鉄の車掌が検札にやってくる。あ~、これでブダペストまで2時間弱のんびりと・・・と、考えていたら列車が止まった。放送は“※▲□×~”のみ。朝、オーストリアを出発したので乗客の多くはオーストリア人か夜行でスイスやドイツからやってきたドイツ語圏の人々であり、ほとんどマジャール語(ハンガリー語)を理解しない。何が起きているのか?いろんな訛は混ざっているにせよドイツ語での会話が始まる。旅行者の英語も聞こえる。みんなが車掌に詰め寄ったが、彼の言葉は“※▲□×~”だけだ。そう、ドイツ語も英語もできないのである。国際列車なのに?!そのうち彼はどこかに隠れて姿を見せなくなった。誰も何が起きているのかわからない。だが、列車は動かない。これから私達はどうなるのか?とにかくブダペストのお客さまには携帯電話で事情を説明した。「引き返そうか?」「でも、どうやって?」と同行のドイツ語ペラペラ営業マンと話していたら突然列車が動き出した。そのうち、食堂車のウェイターが片言ながらドイツ語を話せたとのことで、営業マンが情報を入手してきた。どうも前方で別の列車が脱線しているため、迂回コースに入っているとのこと。「なぁにぃ?!」・・・確かに、列車は見慣れた景色を離れ単線に入っている。これじゃ、引き返す列車もないってこと?いったいどこに連れて行かれるのだろうか?こんな単線に突然入って、前から列車が来て衝突なんかしないだろうか?だいたい何時にブダペストに到着するの?そこから戻れるの?そもそも、ここはどこ?!・・・ありとあらゆる疑問が湧くが、答えはなんにもない。


 結局このときの出張は、ブダペスト到着が午後2時過ぎ。もうブダペストに行かねばならなかった用件は終わってしまっていた時間だ。ウィーンに戻れる列車は午後4時10分発だと言う。何もしないままハンガリーの駅で時間を潰すのは退屈だし、そもそも悔しいのでブダペストで一番有名なカフェ「ジェルボー」に行き、急いで遅めのランチを食べ、駅に戻った私達は恐る恐るウィーン行きの列車に乗り込んだ。果たして・・・乗車時の情報「到着はやや遅れる可能性はあるものの通常運行」はやはりいい加減で、片側通行になっていて結局なが~い待ち時間を途中で何度も繰り返し、夜9時過ぎ、ようやくウィーンに到着した。結局、「ブダペストの有名カフェで大急ぎでランチを楽しむツアー  所要13時間」・・・つまり、欧州から日本に帰れる!という時間を費やした一日であった。もちろん、ウィーン到着後ドイツ語でオーストリア国鉄に交渉してもらったが、特急料金の払い戻しはなし。しかも、なんと私達がウィーンを出発した時間の3時間も前に、原因の脱線事故は発生していたということが判明した。どうも、情報も、国境越えというのは容易ではないようだ。


映画のセットのように見えるブダペスト・ケレンフェルド駅構内 エリザベートがお気に入りだったカフェ「ジェルボー」 カフェ「ジェルボー」店内


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