女性管理職ウィーン駐在記


6.やっぱりウィーンが好き!


朝焼けのウィーン・シュべヒャート空港を出発

 在任中は出張が多く、ウィーンを早朝便で発ち最終便で戻ってバタンキューということが多かったが、生活の拠点がウィーンであったことは、私にとって何よりの幸せだったと思う。仕事はハードだったがストレスも疲れもウィーンの街が癒してくれた。さすが、コンサルティング会社マーサーの「2009年世界生活環境調査」 において第1位に輝く都市だけのことはある。出来ることならずっと暮らしていたかった街ウィーン。その理由を考えてみた。


http://www.mercer.co.jp/summary.htm?siteLanguage=104&idContent=1345225



①安心・安全

 ウィーン1区は安全な街だ。ウィーンで暮らした4年間、職住の場であった1区内では、危険な目にあうことは一度もなかった。実際には、スリや偽警官の被害も報告されていたが、自分が一度も遭遇していないだけに実感はない。ワインやシュナップスで目が回っている夜道でも、一人で歩いてアパートまで帰れたし、真っ暗な早朝に空港に向かうときも、空港バスの停留所まで一人で歩いて行かれた。

日本のウィーナーコーヒーと近いアインシュペナーと水道水

 また、安心・安全という点で自慢したいのが水道水を飲めることである。オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、なんとアルプスの天然水を水道水として整備してくれていたのである。つまり、水道の蛇口をひねれば冷たく美味しいアルプスのミネラルウォーターが出てくるということなのだから、すごい。ウィーンのカフェでは、コーヒーに水がついてくるが、これも水自慢の一端だろう。このウィーン方式が、日本の喫茶店で水が出てくるルーツという説もある。そんなわけで、海外では珍しいことだが、ウィーンではレストランでも依頼すれば無料で水道水(Leitungswasser)をサービスしてくれる。ただし、メニューにあるMineralwasser(ミネラルウォーター)をオーダーすると通常は確認されることなくガス入りの水が出てくるので、ガス抜きの有料ミネラルウォーターを飲みたい場合は“Ohne Gas, bitte.”(ガス抜きでお願いします)の一言をお忘れなきよう。ところで、この水道水は夏でもかなり冷たいので、美味しく飲めるだけじゃなく、冷水洗顔による美肌効果が期待できそうな気がするのが女性には嬉しい。


春らしいディスプレイ

②季節ごとの豊かな表情

 季節限定の美味しい楽しみは既にご紹介したが、季節ごとに変わる街の表情も、離れてしまった今しみじみと懐かしい。

 長くて寒い冬の出口、イースターが近づいてくると、あちこちで黄緑色や黄色をメインとするディスプレーがいっきに街を明るくする。もちろんイースター市を歩くのも楽しい。そして、その頃に突然やってくる春。ヨハン・シュトラウス像のそばでソメイヨシノが満開になり、リンク通りの街路樹の緑は目に見えるかの如き勢いで成長を始める。


フライウング広場のイースター市 桜とシュトラウス 年に一度の「教会の長い夜」

聖ペーター教会 市庁舎前広場の音楽映画フェスティバル

 初夏に実施される“Lange Nacht der Kirchen”(教会の長い夜)も楽しみの一つだった。年に一度、オーストリア中の教会が深夜までオープンして特別な礼拝や演奏会を開催し、誰でも気軽に訪れることができる日として設定されている。教会には似つかわしくない言い様だが「教会のハシゴ」が可能なわけだ。

 夏の夜は、各地で湖上や野外での音楽関係イベントが行われるが、なんといってもお手軽なのが市庁舎前広場で毎夜開催される音楽映画フェスティバルだ。各国料理の屋台も並ぶので、早めに行って飲食を楽しんだり好きなものを買って着席。つまり、飲み物や料理を片手に無料でオペラやコンサートの映画が楽しめるのだ。切符の入手が困難で、実際にコンサートホールに行くことを諦めざるを得なかったような演奏会が上映される日には、ツーステップで出向いていた。ただし、6月下旬から始まるフィルムフェスティバル、当然ながら日没後に上映されるため日の長い欧州の夏、8月上旬までは開始時間がかなり遅い。結果、終わる時間も遅くなるわけで、翌日、若干睡魔との闘いは覚悟しないといけない。

 8月も下旬になると朝晩涼しくなるウィーン。9月中旬にはオペラや演奏会のシーズンが開幕し、あっという間に秋の黄葉の季節を迎える。日本人のイメージする欧州は、まさにこの色合いではないだろうか。ウィーン暮らしで何よりの癒しは、仕事を終えて着替えて向かう国立オペラ劇場楽友協会だった。超一流の音が身近にある喜びはもちろん、パウゼ(幕間)にワイングラスを傾けながらウィーンマダムの装いを眺めるのも楽しい。1月~2月に毎夜開かれる舞踏会もそうだが、ウィーンという街は、日本人の私にとっては非日常が妙に近い距離で存在している場所だったと思う。


国立オペラ劇場 ニューイヤーコンサートで有名な楽友協会と遠くに見えるカール教会 舞踏会は明け方まで続く

 ウィーンの街が最も華やかになるのがクリスマス市の始まる11月中旬からクリスマス・イブまでだ。日頃から歴史的な建造物がまるで「街が美術館」のように並ぶウィーンだが、クリスマス・ディスプレイの季節はより一層美しく華やぎ、心が躍る。特にライトアップされる夜間は美しい。どんなに寒くてもクリスマス商品や工芸品の店が並んで楽しいクリスマス市には何度も足を運んでしまったし、日本に戻った今、一番再訪したい季節である。


市庁舎前のクリスマス市 ライトアップとイルミネーションが美しい通りグラーベン クリスマス市の商品は、冷たい空気の中でキラキラ輝く

愛らしいブタがたくさん!のブタ市

 年末。私は勝手に「ブタ市」と命名していたが、新年に贈りあう幸福のシンボルを売る屋台があちこちに並ぶ。幸福のシンボルとは「ブタ、四つ葉、きのこ、煙突掃除人、てんとう虫」などで、特にブタが目立って売られている。これが、なんともかわいい!大晦日には会社や店は半ドン。ホットワインを飲んだり、幸福のシンボルを買ったり、街は大賑わいになる。夕刻になると、爆竹は鳴るし、なぜかこの日はみんな瓶を地面に叩き付けて割るため、かなりエキサイティングかつスリリングな大晦日となる。街の喧騒はカウントダウンで最高潮に。日頃は聞くことの出来ないシュテファン寺院の大鐘が除夜の鐘のように鳴り響き、あちこちで花火が打ち上げられる中、大騒動で新年を迎える。


半ドンの大晦日、オフィスの下でホットワイン片手に打ち上げ 年末の花火は毎年アパートの屋上で楽しんだ. 強風の日に凍結した模様のドナウ川

 ウィーンの冬は寒い。大雪は滅多に降らないが、毎日チラチラと風に舞っていることが多いし、ドナウが凍結することもある。弱々しい太陽に気が滅入るし、早くから暗くなって夜が長い・・・つまり、暗い。だが、華やかなオペラ、コンサート、舞踏会はシーズン真っ盛りであり、飲ん兵衛にとっては夜は長い方がいい。キーンという寒さが懐かしい。


華やかなクリスマス会

③ 楽しい日本人コミュニティ

 初めての海外駐在、しかも単身赴任者にとって、日本人会はありがたい存在だった。2006年度から帰任まで、日本人会イベント部長としての大役をなんとかこなしながら、自らもおもいっきり楽しんでいた。有名ワイナリーへのワイン遠足、年に2回ウィーン在留邦人が本気で燃えるソフトボール大会、ミュージカルスターがゲスト出演するウィーンらしく華やかな墺日協会との合同クリスマス会。こういった年中行事はもちろんのこと、特に思い出深いのは2008年8月の「日本人学校創立30周年・日本人会設立50周年記念~日本の祭り~」である。

初戦敗退だったものの笑顔いっぱいのJALチーム

 祭りプロジェクト・チームを立ち上げ、みんなでワイワイガヤガヤと企画から準備、そして緊張の当日を楽しんだ。出身も、仕事や役割も、年齢も異なる、が、なぜか同じ時にウィーンに居合わせた日本人という共通項。不思議な連帯感、結束力があった。日本から運んだお面、ヨーヨー釣り、プラスチック製ではあるがかわいい金魚すくいの縁日、各チームが一致団結して汗を流した綱引き合戦、これまた日本から運んだビデオでプロジェクト・チームが練習を重ねた盆踊り。和食の店や、日本食材の店も協力してくれて楽しい屋台が並び、さらにフリーマーケットと、在留邦人わずか1500名弱のウィーンで、日本人学校を会場とした「日本の祭り」は日本人・オーストリア人等の多くの来場者で大盛況であった。賑わう縁日や屋台、大きな大きな輪になった盆踊りにプロジェクト・チームはバンザーイ!と大喜びの一日だった。

日本人コミュニティの心の支え焼き鳥の「火鶏」 イタリアのトリエステまでドライブして感嘆の声をあげたランチブッフェ

 もうひとつの心強い存在だった「鍛心会」。つまりは、単身会だ。ウィーンの駐在員は、中・東欧をカバーしている場合が多い。そのため、皆出張に追われる日々だが、ふと誰かが「土日の夜って、結構暇なんだよね」言った。こうして始まった単身者の会。鍛えるのは「心」というより「肝」のような酒飲みの会ではあったが、まさに異業種交流の場であり、話の幅が広く勉強になることが多かった。時にはドライブに出掛けたり、日本から誰かの家族が来たといっては集まったり、なんともいえない大人の仲良しクラブだった。当然ながら去る人、迎える人があったが、今では日本支部まで発足している。

 異国で暮らしてみて「やっぱり日本人の繋がりっていいな」と思うことが何度もあった。帰任の際のどうにもバタバタの引越準備でも、おもいっきり助けてもらった。日本ではちょっと忘れ去られているようなご近所づきあい的な繋がりが、日本人コミュニティにはあった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


冬のシュテファン広場 午前5時50分

 こうして、たくさんの刺激と多くの人との関わりで、私は逞しくなった。なぜか、いつも笑っていた。仕事という場面だけを切り取るならば、決して平坦な道ではなかった。現地のスタッフたちにとって、デコボコ道をなんとかしようと暴れる(?)私の出現は、おそらく「直撃台風が来た!」という思いだったのではないだろうか。だが、私がウィーンを去るとき、超楽天的なマネジャーが「ジェットコースターに乗っていたような毎日でしたぁ!」と笑ってくれた。暴風雨に巻き込んだのは確かだが、どうにかみんなが一緒に走ってくれたのは、いい仲間に恵まれた私が「マリア・テレジアのような肝っ玉母さんにならなくちゃ!」と腹をくくっていたからではないだろうか。それを、成し得てくれたのが癒しの街ウィーンだった。そして、好奇心を満たしてくれた中・東欧各国との出会いだった。とりわけ、駐在中出会ったたくさんの人たち―日本では出会えなかったようなグレートでパワフルな皆さん、楽しい在留邦人の皆さん、そして私を支えてくれたスタッフたち―に、心から感謝の気持ちを伝えたい。


 大好きな街ウィーンに暮らした4年間の経験と出会いは、私の人生の宝物である。


-完-



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