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モンゴル滞在記

野村 研児


1.はじめに

2009年8月末から12月中旬までの3ヶ月半、新ウランバートル空港建設の調査プロジェクトに参加し、ウランバートル市に滞在しました。滞在中の見聞を踏まえ、同市の生活と市内の見どころなどをご紹介します。


なお、新ウランバートル空港は現在建設計画中で、2016年に供用開始の予定です。この計画が持ち上がったのは、現ジンギスカン空港滑走路の端に山が迫っていて(写真に見えるように山が迫っていて)、追い風(tail wind)では航空機が離発着できない問題があり、また現在のターミナルではすでに狭隘で今後の航空需要に対応できなくなる問題があることから、それを解決するため、市内から約50Km(車で約1時間)の平地に新たに空港が建設されることになりました。

ウランバートル市内と、現空港、新空港の位置関係は以下の地図のようになっています。

下の写真は、成田からウランバートル空港へ向かうMIAT(モンゴル国際航空)機内から撮影、上がウランバートル市内、その左側が空港です。写真のように手前に高い山があるので、この山を避けるように回り込んで空港に着陸しました。

ウランバートルの3ヶ月半は、前半はホテル、後半はアパートに滞在しました。毎日そこから事務所、空港、航空局などへ往復する生活でした。


2.新空港予定地

着任早々、新空港建設予定地を視察に行きました。予定地には4輪の駆動を走らせて約1時間で到着しました。途中の景色はほとんど丘と草原で、家(ゲル)はあまり有りませんでした。ただ牛やヤギの群れがいくつも現れました。交通信号が無いかわりに、牛や羊が横断するたびに停止させられました。車を45分ぐらい走らせたところに、やっとズモッドという町がありましたが、運転手によると横綱白鵬の父親の出身地とのことでした。このズモッドから更に15分ぐらい車を走らせ道の無い草原をしばらく進むと、空港建設予定地がありました。


予定地は若干坂になっているものの視界360度の草原で、数え切れないほどの馬が放牧されていました。見渡したところでは千頭ぐらいいたと思われます。馬の一部は綱につながれていましたが、ほとんどは放し飼いになっていて、群れを離れた馬は遊牧民が群れの中へと追っていました。

大草原を背景に何十頭もの馬が走るのは大変な迫力で、またそれを追う遊牧民の姿は颯爽としていて、ジンギスカンの時代のモンゴルの原風景を垣間見たようでした。

視察に行ったときはまだ9月に入ったばかりだったので草原には緑が残っていましたが、吹く風は冷たくすこし外にいるだけで寒さに耐えられず、車に逃げ込んでしまいました。

馬を追っていた遊牧民の家族が、2、3軒のゲルに住んでいて、近寄っていくと、その家族が総出で出迎えてくれました。また、ゲルの中に招待してくれて、馬乳酒をご馳走してくれました。

馬乳酒を飲んだあとで、お礼をのべたかったのですが、ことばが通じず身振り手振りで何とか意思表示しようとしましたが、沈黙を破れませんでした。体格の良い家長が無言で目の前に座られると威圧感を感じました。結局早々に退散となりました。モンゴル語を少しでも勉強しておけばよかったと後悔をしつつ、笑顔で会釈しただけの最初の異文化交流でした。


家族の中で、4才くらいの女の子(写真の赤い上着の子)がかわいらしく、われわれが物珍しいのか、最初から最後までついて来てくれました。


11月に再度現地を訪れたときには、一面の雪景色で、馬も遊牧民もどこかに移っていった後でした。


3.ウランバートルの生活

●買い物

ノミンデパート (旧国営デパート)

買い物は、ウランバートル中心にある最大規模のノミンデパートにいろんなものが揃っていてよく行きました。

1階に化粧品と食品の売り場があり、2、3階は衣類や電気製品が置いてあります。モンゴルみやげの岩塩もここで売っていたので多量に買いこみました。

このほか、スーパーマーケットが各所にあって、生活品のほとんどが揃っていたので買い物に不便はありませんでした。ただ、モンゴルの冬は寒いので売り場面積のわりに入口が小さく、よく見ないと外からはスーパーマーケットとは分からないことが多かった。


モンゴルみやげの一番はなんと言ってもカシミヤですが、このノミンデパートの前の通りにはカシミヤ専門店が多数ならんでいて、季節の良い時には日本人の買い物客も多数見かけました。

帰国直前の12月には日本からの買い物客も姿を消し、現地の人がクリスマスプレゼントなどを買っていました。このデパートの前にもクリスマスツリーが立ち、そのほかの店でも飾り付けやイルミネーションが輝き、ここでもクリスマス商戦真っ盛りでした。


ウランバートルの初雪、 9月20日

●住宅

ウランバートルは冬が来るのが早く、着任してパレスホテルに落ち着いて、着任の挨拶をかね日本に残暑見舞いを書いた頃には、もう日本の真冬並みの温度でした。9月15日にはホテルに暖房が入り、20日には大雪が降りました。(左写真)
ホテルの近くの雑木林にゲルがあり、おばあさんが一人住んでいて、時折扉を開けて顔を出していましたが、この日ばかりは戸がしまったままでした。


このゲルのおばあさんは、11月に通りかかったときにはどこかに引っ越したらしく、そこにはなにも有りませんでした。


モンゴルでは住民票をあまり厳しく管理していないらしく、近隣から苦情が出なければ空き地にゲルを張り生活ができるようです。なかには、街中の歩道にゲルを張って生活している人もいましたが、さすがに交通の迷惑になるのですぐに撤去されてしまいました。


もちろん一般の人たちは、高層アパートや郊外の一戸建てに住んでいて、我々と同じ生活をしています。


●衣類

慶事(お年寄りは、伝統的な服装で)

10月は、わたしにはもう真冬ですが、モンゴル人にとっては良い季節に当たるので結婚ラッシュでした。滞在しているホテルでもたびたび結婚式が催され、お年寄がモンゴルの民族衣装で着飾っていました。

おじいさんもおばあさんも黒いブーツを履いて、いつでも馬に乗れるような服装になっているようでした。

お年寄りに聞いてみると、ほとんどの人が馬に乗れるという返事が返ってきましたが、馬は、日本人にとって車か自転車のように一般的な交通手段だったのでしょう。


●食事

モンゴルの食堂では羊料理が多く出てきます。1週間もモンゴルの食堂で食べると、直ぐに白米を食べたくなります。そこで、日本料理か韓国料理を中心にレストランを探して、白米とお新香とキムチをたべていました。秋になると道路沿いに羊やヤギを売っていて、価格は、日本円で一匹3千円とのことでした。空港で会議を終えて帰る途中、現地スタッフが一匹買って事務所で食べようと提案がありましたが、即座に断りました。また、馬をつぶすので馬肉パーティをやろうという話もありましたが、それにも丁重にことわりました。野菜よりも肉の方が安いようで、なにを注文しても皿の半分は肉でした。たぶん白米では発熱量が足りず、肉を食べないとモンゴルの厳しい冬は越せないのかもしれません。


●交通事情

ウランバートル市内には、中国、ロシアを結ぶ長距離電車が走っています。写真はウランバートル駅のプラットホームですが、駅の時刻表をみると運行本数が少なく閑散としていました。

やはり市内の主要交通機関はバスで、市内にルートが網のように廻らせてあるので、バスの乗り方さえ覚えると安くて(日本円の20円くらいで)便利でした。


仕事上の移動には、事務所用の車で現地の運転手がついてくれました。後半ついてくれた運転手はタイグワンさん(発音が難しいので“タイワン”さんと呼ばせてもらった)は非常におとなしい人でしたが、ハンドルを握ると性格が変わり、合流地点では割り込み合戦にヒートしていたので、まあまあとなだめると、すぐに笑顔になる人でした。

ウランバートルでは、退勤時間は特に車が混むので、割り込みのうまい運転手とそうでない運転手では、車の速さがかなり違います。その意味では、タイワンさんの性格のお世話になったと言えます。


●娯楽

モンゴルでの娯楽は少なく、特に滞在期間中は新型インフルエンザが流行したため、レストランなど人の集まるところは夕方9時閉店で、8時半くらいから従業員がそわそわと店じまいの準備を始めました。11月以降は暗くなるのも早く外気温はマイナス20~30度で、道に迷うと行き倒れになる心配があるのでみな仕事が終わるとすぐに帰宅する真面目な生活でした。


唯一楽しんだのはスキーでした。モンゴルで最初のスキー場が2009年11月にオープンしたので、12月にスキーに行ってみました。

筆者

ゲレンデは、上級、中級、初級と3つのコースがありましたが、モンゴルの人はほとんど初心者なので初級者コースが混んでいます。反対に上級者コースはガラ空で、一緒に行った日本人の独占状態でした。


ゲレンデは大変寒く、リフトに乗っているときは凍死寸前でした。下に滑って降りて測ってみると温度計はマイナス26度でした、多分、山の上はマイナス30度を超えていたと思われます。


4.ウランバートル観光-寺院

ウランバートルは、ラマ教のお寺院が3か所あり、日曜日は暇なので主に寺院を見て回りました。


●ボクドハーン宮殿(現在は博物館)

ボクドハーン宮殿は最初に滞在したパレスホテルの直ぐ近くにあったので、よく散歩に出かけました。

この宮殿を入ると中は博物館になっていて、チベット仏教の曼荼羅や仏具などが陳列されていました。


●チョイジンラマ寺院

ウランバートル市内中心にあるチョイジンラマ寺院は、国会議事堂、日本大使館、引退した朝青龍の家からも近く、交通の便の良いところにあります。

なかなか落ち着いたか趣のある寺でした。1908年に建立され第8代活仏の弟が住んでいましたが、今は博物館になっていて、ツァム祭(仮面をかぶって踊るチベット仏教のお祭り)の仮面が陳列されています。


祭用の仮面にはちいさな髑髏が8つ付いていて、寺院内の土産物屋のおばさんによると、この髑髏は一つ一つが人間の煩悩をあらわしているとのことでした。


このおばさんは英語が上手で、いろいろとチベット仏教の話をしてくれました。お寺は、写真のとおりほかに観光客も来なかったので、このおばさんと宗教談議を楽しむことができました。


●ガンダン寺

ガンダン寺は1838年に建立されたウランバートル最大のお寺で、参道沿いに小さなお寺がいくつもあって多くのラマ僧が修行をしていました。

日曜日の朝には参道沿いのお寺では読経が行われ、一般の参拝者が多数集まってきました。

お寺の中の読経の声はスピーカーで外に放送されて遠くからも聞こえるので、参道を歩くだけでご利益があるように感じました。


参道沿いのお寺の中は10数人の僧侶が読経をしていますが、動物の脂でつくった強烈なにおいのする線香を焚いているので、10分と耐えられずに燻りだされてしまいました。でも、日本と同じ仏教の国なので根本のところでなにか相通じるものを感じることができました。


後半住んだアパートの玄関がガンダン寺の参道に面していたので、毎日曜日にはカメラを持って、お寺や僧侶、参拝客などのスナップ写真を撮りました。

ラマ僧の中には写真に写っているような小学生くらいの僧が修行していて、この写真の日はマイナス30度近い寒気でしたが、小学生のような子供の僧と兄のような僧が黙々と歩いていました。


またお寺では、老夫婦が無心にマニ車を回しお祈りしたり、寺の小さな祠で一心に祈る親子などを見ると、ここでは宗教が重要な役割を果たしていると感ました。


5.帰国

さて、いよいよ帰国である。帰国前日に送別会を開いてもらったので、運転手のタイワンさんにも帰国前日の夜遅くまでレストランの外で待たせてしまった。

朝は出発便が重なり混雑するので(写真右側はピーク時のセキュリティチェックを受ける長い列)
左側はガラスになっていて外から出国まで見送ることができる。

翌朝は、MIATの501便、早朝7:35分発なので運転手のタイワンさんに5時に迎えに来てもらった。道が空いていたので5:30に空港に着き、まだチェックインが始まっていなかったので運転手に帰ってもらおうとしたが、見送ると言って帰らない。コーヒーを2杯買いロビーにて2人無言で飲んだ(言葉が通じないので)。やがてチェックインが始まったので、別れて中に入り手続きを済ませた。そのあとセキュリティチェックに並ぼうとなにげなく窓の外を見ると、運転手がこちらに向かって手を振ってくれていた。マイナス30度の中気がつかなければそのまま搭乗してしまうかも知れないのに、極寒の中でずうっと見送ってくれていた。そう思うとなにか胸に急に熱いものを感じた。特になにもしたわけでもなく、ただ事務所との往復だけでの接点であったのに、ここまで見送りしてくれるとは大感動でした。


仕事や生活は大変であったが、モンゴル人は我々日本人に対して大変親切でした。また最後にこの運転手には大感動でした。最後はまるでウルルン滞在記のような出張でした。


以上



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