日本政府はビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)の下、”外国人旅行者訪日促進運動”を行っています。
数値目標として2010年までに1,000万人の訪日外国人を得ることです。因みに2006年では733万人の実績を数えています。 日航財団は日本政府が重点市場として指定した地域12カ国の内、7カ国から毎年夏に大学生をJALスカラシップとしてを受け入れる一方、3カ国から大学生の財団での企業研修を1年単位で受け入れています。
当財団は、上記促進運動に呼応しつつツーリズム研究の一環として、研修生の目を通して「日本の観光資源」を調査、紹介しています。
第四回目の調査は、研修生の希望でもあった「古都鎌倉巡り」です。
中韓豪の若者達の眼に日本の古都がどう写ったでしょうか?
(指導同行:財団/篠原)
日時:2007年4月11日(水)終日
天候:曇り
場所:鎌倉
ルート:JR北鎌倉駅 → 円覚寺 → 建長寺 → 鶴が岡八幡宮 ⇒ 長谷寺 → 鎌倉大仏 ⇒ JR鎌倉駅 (→:徒歩、⇒:江ノ電)
鎌倉
ユン・アルム
鎌倉は日本の友達に何回も薦められたことはあった。しかしお寺や遺跡なら子供の頃飽きるほど親に連れて行かれたので、正直行く気はしなかった。でも今回の鎌倉巡りで子供の頃とは変わった自分を垣間見ることが出来た。ただ退屈だっただけの昔とは違って、今は自然や遺跡を楽しむことができる大人に近付いた気がした。
円覚寺
私達は最初の目的地である円覚寺に向かうため、北鎌倉駅で降りた。駅の周りは緑がいっぱいで落ち着いた感じがした。時間の関係で全部を回ることは出来ず、円覚寺の仏殿まで行くことにした。円覚寺は1282年鎌倉時代後半北条時宗により創建された。室町から江戸時代にかけ火災に遭ったため、今の円覚寺の基礎が築かれたのは江戸末期とのことだ。建物の形は韓国と似ていたので新鮮味はなかったが、山に囲まれたお寺を歩いているだけでリフレッシュできるような気がした。山門や仏殿を少し回った後、山を少し登ったところにある茶店で休んだ。あんみつや甘酒を手にして円覚寺の辺りが一望できるところに座り、自然を満喫した。
建長寺
次の目的地である建長寺までは歩いていくことにした。鎌倉時代の1253年に建てられ、鎌倉五山の第一位に相応しく、壮大で綺麗なお寺だった。仏殿の横には一目でその古さが分かる樹木があった。後で調べてみたら新日本名木百選にも選ばれていた。建長寺の所々に、日本の歴史が残っていることを感じた。そして法堂の内部が公開されていたので、現代日本画家小泉淳作画伯による「雲龍図」を見ることも出来た。天井を自由に泳いでいるような雲龍の天井画が印象的だった。
鶴岡八幡宮
建長寺を後にして鶴岡八幡宮に向かった。建長寺からは鶴岡八幡宮の正面までだと遠回りになるので、少し狭い裏側の道から行くことにした。源頼朝が鶴岡八幡宮を祀って源氏の氏神としたのと同時にここを鎌倉の中心として街造りを進めたので、訪れている人の数も多かった。本宮のすぐ前にある大石段からは鎌倉の街を一望することが出来た。そしてその下にある舞殿では神前結婚式が行われていた。日本の伝統的な結婚式を間近で見るのは初めてだった。純白の花嫁姿も綺麗だったが、挙式の先頭を歩いていた巫女の姿がとても美しかった。段葛の方にずっと歩いていくと、両側に源平池が見えた。今も綺麗な池だが、夏になると紅白の蓮の花が見事に咲くとのことで、また訪れたいと思った。
鶴岡八幡宮を出た私達は小町通りに向かった。お土産屋がいっぱいあるので、若い人達の姿も結構多く見られた。狭い道の両側にはお店が隙間なく並んでいた。鎌倉に来る前にインターネットで調べた有名なお店に入っていろいろ試食しながらお土産を買った。
小町通りで昼食を取った後、江ノ電に乗って鎌倉大仏がある長谷に向かった。実は今回一番楽しみにしていたのはこの江ノ電だった。私の好きなマンガ、スラムダンクの舞台となったのが鎌倉高校で、江ノ電とその周辺の風景もよく作品の中で描かれていた。マンガを思い出しながら江ノ電に乗り、外の景色を楽しんだ。
長谷寺
長谷駅から大仏があると思い人々に紛れて迷いも無く入った寺は、庭園がとても綺麗で、潮音亭から見下ろす海の景色もすばらしかった。そろそろ大仏を探してみようかと寺を回ったが、どこにも見当たらなかった。おかしいと思って関係者に聞いてみたらここは全く違う寺だった。私達が巡っていたのは長谷寺で、大仏はもっと駅から歩いたところにあった。しかし間違ってよかったと思うくらい景色も美しくて楽しかった。洞窟のようなところに蝋燭の光で照らされていた「弁天堂」も印象的だった。
鎌倉大仏
長谷寺を出て本来の目的地だった鎌倉大仏に向かった。鎌倉大仏は言葉通り本当に大きい仏像だった。大仏を囲んでいた大仏殿は台風で倒壊し、その後も大津波で押し流されたので今は露座の大仏となっていた。前に見た奈良の東大寺の大仏よりは小さかったものの、青空と山が背景になっている鎌倉大仏もそれに負けないくらいの威圧感があった。
最後に
鎌倉で思ったのは、外国人、特にヨーロッパやアメリカの人が多いことだ。アジア系の人の姿はほとんど見当たらなかった。東京のどんな観光地にいても聞こえてくる韓国語がここでは聞こえなかった。文化も自然も日本と似ているので、遺跡や景色をみるより東京の大都市や温泉などが人気なのは当たり前かも知れない。しかしお寺の近くで食べるあんみつやしるこ、八幡宮で行われた日本の伝統的な結婚式、狭い道や海辺を走るスラムダンクの背景の江ノ電など韓国人でも楽しめることが鎌倉にも潜んでいるので、今度友達に薦めてみたいと思った。
鎌倉
ソン・エイ
鎌倉・・鎌倉時代の政治、文化、軍事、経済の中心であり、日本の歴史で輝いていた武士の古都である。東、西、北、三面を山々に囲まれ、南は太平洋の相模湾に面して天然の要衝となっている。鎌倉のマップを開いて見ると、そこには数多くの寺や神社を表す印がびっしりと書いてある。この地域は仏教の影響を深く受けていることが分かった。鎌倉時代はちょうど中国の南宋と元朝の初めごろと同一時期である。4月11日に、この悠久なる歴史を持ち歴史上の人物と深くかかわりのある海辺の町を尋ねた。私たちの散策経路はJRの北鎌倉駅に近い寺、円覚寺からスタートし南へ向かった。
円覚寺
北鎌倉駅で電車から降りると、春の郊外の息吹に全身を包まれ、早春の桜は円覚寺前の白鷺池のそばで優雅にそして可愛い姿で佇んでおり、そこはハイキングの気分で溢れていた。円覚寺は鎌倉幕府の八代執権北条時宗により山間の谷に建立され、これは鎌倉寺院の特徴の一つといえるだろう。小山の頂上に登って一休みができる茶店の所に足を止め、お土産を見たり、林の中のさわやかな風を浴びたり、デザートを食べたりすると、その甘さで心がうきうきしてきた。緑の世界の中に融合したくなって、何と眺めの素晴らしいところだろう。
建長寺
西洋の団体旅行者が圧倒的に多かったのが印象深かった。一方、アジア圏の人たちにとっては寺はそれ程特別な所ではないが、やはり地域・文化の違いのゆえに、同じ仏教の寺でも建築様式が違うことになる。中国の寺の色は赤がもっと濃く、日本の赤は赤味がかったミカン色である。日本の寺はどこにいっても、素朴で非常によく管理されている。古い寺院の境内の植物は日本風庭園の特色を備え、観光地としての魅力を備えている。鎌倉幕府を開いた源氏は三代で滅び、政権は外戚の北条氏に移ったという。創始者の意に反して利益集団の権力闘争が繰り返されたのは、歴史の変遷が示しているとおりだ。
鶴岡八幡宮
鎌倉五山の第1、2位の建長寺と円覚寺を訪れてから、鎌倉のシンボルともいえる鶴岡八幡宮に着いた。私たちは裏側から鶴岡八幡宮に入った。さすがに、全国を統一した大武将の源頼朝が創建した社殿である。魅力的なところは、気力がみなぎっていているのと色の鮮やかさだと思う。巨大な本殿の階段に立って、はるか彼方に延々と伸びている有名な参道・・若宮大路の方面を眺めてみると、参拝する人や観光客が多くてとても賑やかだった。ちょうどその日に、舞殿で結婚式が行われていて、日本の「神前結婚式」も見学できた。昔、この場所で、源義経の愛人であった静御前が義経を慕う舞を舞ったという悲しい歴史物語がある。今は、皆、神前でこの結婚が永遠に続くように願っている。同じ場所での歴史物語と対比すると、何と不思議なことだろうと思えた。建物は、話せないが黙々として世の中の移り変わりを目撃者として見守っているようだ。
巫女の服装の鮮やかさに反して、結婚式の主役・・花嫁と花婿や親戚の衣服は黒と白が多かった。花嫁は白ずくめで角隠の白絹を頭にかぶっている。中国の伝統習慣でお祝い事がある時には必ず赤で表すことと随分違っている。結婚式はまだ続いていたが、私たちは源平池の方へ進んだ。庭園の中に水があると、生物の数も多くなって全体の雰囲気が生き生きとしてくる。
そこから出て一の鳥居の下にきた。道の両側の店とさっきの池にかかる橋とを組み合わせると、雰囲気はどこか中国の「江南水郷」(中国揚子江下流の南の地方に見られ、湖や川の景色が美しい町や村の風景の総称)と似ている。お昼から曇ってきたせいか、けだるい雰囲気がこの町を包んでいた。
小町通り
若宮大路と並行している小町通りには、色々な店が隙間なくずらりと並んでいる。お土産を買うにはとても便利なところだ。中には何百年もの歴史がある店もあるそうで、早速探しに行った。和菓子の包装は綺麗で、中身も勿論美味しくてたまらなかった。
江ノ電、長谷寺、鎌倉大仏
小町通りに飲食店がたくさんあるので、食事についてはいろいろ選べた。昼食後、昔の映画に出てくる電車かと錯覚しそうな、都電に似ている江ノ電に乗った。長谷駅で降りて鎌倉大仏を探しに行った。この界隈は、さっきと比べて人が割と少なく店もまばらに分布していた。道路標識に従い道を進み、他の観光客の後ろに付いて寺に入った。目の前に出てきたのは、池の水面の輝きと植物の影がお互いに引き立て合ってとても趣のある小さな庭だった。池の中の鯉が水面に顔を出し、口をあけて私たちの訪問を歓迎しているようだった。神秘的な洞窟に入ると、岩石の中に神仏の彫刻が見え、鍾乳石のような天井から「トン、トン、トン」と水滴が垂れていて音楽を奏でているように聞こえた。洞窟から出ると、子供の頃迷宮から出てきたような快感が溢れてきた。上に回っても目指していた大仏は見つからなかったが、広い展望台を見つけた。欄干にもたれて遠くに望む鎌倉は平屋だけが海辺に広がっていた。ここは長谷寺だった。「大仏はここから10分間位かかるところにあり、この長谷寺はよく観光客に大仏のところと間違えられる。」と寺の仏師に教えられた。やっと見つけた大仏には強い印象が残ってないが、周りの植物には心や目を楽しむことができた。
最後に
下町のような雰囲気があり、人々の心が純朴で、大自然に囲まれた地形を特徴に持った海辺の町が鎌倉の印象だった。鎌倉の静謐と寛ぎの時は、毎日生活のためにあくせく働いてなかなかのんびりできない人々には憧れになるだろう。
以上
鎌倉
グレゴリ・ブラウン
日航財団での仕事の一環として鎌倉を訪問した。鎌倉は12世紀から14世紀前半の間、源氏によって幕府がおかれていた。この地域の歴史的重要性を重視し、有名な寺社を見学して回った。
円覚寺
最初に円覚寺を訪問した。駅が寺の敷地内にあるのが興味深かった。円覚寺は元寇(げんこう)で死亡した両軍の兵を弔うために建てられた禅宗寺である。緑が多く静かなため、心が安らぐ場所だった。眺めのいい場所で休憩し、鶯の声を聞きながら甘酒をいただいたのも印象的だった。
建長寺
円覚寺から線路沿いに鎌倉五山の第1位である建長寺まで歩いた。見事な山門があり、奥の庭には色とりどりの花が咲いていて奇麗だった。又、樹齢750年の神木が大きく立派だった。円覚寺と同様、建長寺は当時の有名な中国僧によって開山された。歴史的に中国の文化と宗教は日本に大きな影響を与えていたことが良く分かる。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮には本来は段葛を歩き正面から訪問するものだが、今回は裏にある横道をたどり、本宮のそばに出た。鎌倉は仏教の寺が集まっている地域だが、八幡宮は神道の神社である。鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)によって今の地に建立された。
本宮に続く大石段の上から神社の広い敷地とその周辺に広がる鎌倉の町を見渡すのはとても気持ちが良かった。本宮には赤ん坊をつれてお参りをしているカップルが多かった。又、大石段の手前にある舞殿で結婚式が行われていたので、運良くそれを見学することができた。伝統的な日本の結婚式を見るのは初めてだったので、雅楽や日本の花嫁衣装が珍しく、興味深かった。
小町通り
八幡宮訪問後、鎌倉駅まで続く鎌倉の繁華街とも言える「小町通り」を歩いた。ここにはいろいろな店があり、菓子や土産を売っている店もあれば、手作りの品を置いているところもあった。にぎやかではあったが、上野のアメ横などよりはゆったりとした雰囲気があり、これはこれでいいと思った。
長谷寺
鎌倉駅から長谷まで乗った江ノ電は第1回の東京ツァー時に使った都電とそっくりだった。長谷には有名な鎌倉大仏を見物する予定で行ったが、勘違いをしてしまい長谷寺を訪問。大仏はいくら探しても(当然ながら)見当たらなかったが、長谷寺はとても美しい庭と池があり、日本国内では有数の大きな仏像に出会えた。又、弁才天のミニチュア木像が大量に祭ってある空洞の中に入るという貴重な体験をした。
鎌倉とオーストラリア人観光客
鎌倉はガイドブックなどにも必ず載っていて、すでに外国人観光客には好かれている場所らしい。オーストラリア人も例外ではないだろう。
オーストラリア人の中には日本に来ても東京だけを集中的に見学する人は少なくない。このような観光客にも日本の伝統的な文化にふれてもらいたいと思う。東京に近く、歴史的・文化的に豊かな鎌倉はこのような観光客に宣伝すべきだと思う。
しかし、オーストラリア人相手に鎌倉を宣伝する際には、海を重視しないほうが良いと思う。なぜなら、オーストラリアは海が大変奇麗なため、外国の海を厳しい目で見る傾向があるからである。
最後に
個人的には、今までこのツーリズム見学の訪問地の中では鎌倉が一番楽しめた。田舎ではないが、都会でもないこの町を訪問することはとてもいい気分転換になった。
東京から電車で片道\890はあまり高く無いと思った。又、ほとんどのお寺は入場する際に\300かかった。これはしょうがないと思うが、いろいろなところを見たければ高くついてしまうというのは鎌倉の短所といえるかもしれない。
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