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松山、しまなみ街道、広島・宮島、三日間の旅
トリン・テレサ
―松山―
研修生と財団スタッフが羽田空港チェックインカウンターに集合。旅が始まった。
チェックインを終え、飛行機に搭乗。最初の目的地松山までの飛行時間は1時間30分。
この時間は、楽しい3日間の旅の前の一休みとなった。
松山空港に到着後、宿泊先の東急インに向かう。
バスでは、地域の特産品や、有名な観光地の紹介など、いろいろ案内があった。案内は、日本語だけでなく、英語、韓国語、中国語でおこなわれ、大変、興味深かった。松山が訪問客を満足させ、観光産業を発展させようとしていることがよくわかった。
ホテル到着後、JAL松山支店の日野さんとお昼をともにした。ホテルから昼食場所まで、日野さんが案内してくれたが、そこまでの街路がとても美しく、晴れた暖かな日でもあり歩くのがとてもここちよかった。
松山の街路を歩いていると、この街が東京と明らかに違うことがわかる。 松山のメインストリートは賑やかであるが、古い路面電車がいまも走っており、静かな横道には、松山の特産品を売っている古風で趣のあるお店が多く、時代を超えた雰囲気が感じられた。
昼食で訪れた「桃李花」は、静かな小道に面していた。
レストランにはいって驚いた。たたみとふすまの部屋にモダンなデザインの椅子がおかれていたからだ。まさに、和と洋の融合の素晴らしい世界がひろがっていた。
食事の前に日野さんより、松山市の見所や特産品、また特におすすめの品の説明を受ける。
食事が運ばれてきた。お店の方の控えめで好ましいもてなしが、とても印象的だった。食べ方や、薬味はどれをつけたら良いかをていねいに教えてくれた。
予想にたがわず、食事は新鮮で、とてもおいしかった。
食事の後、日野さんにお礼を言い、お別れした。
その後、私たちは日本に現存する12の古城の一つ松山城に向かった。お城は山上にあり、ケーブルカーを利用。ケーブルカーをおりたら、松山城の探検の始まりだった。
松山城には最初から強烈な印象を受けた。聳え立つ櫓から、敵の進入を防ぐ壮大な門まで、昔のままとてもよく保存されていた。
松山城からの周りの景色も素晴らしかった。天守閣からは東西南北が見渡せ、それぞれの景色がとてもユニークで美しかった。
広場には多くの桜の木が植えられていたが、まだ咲いていなかった。春は、本当に素敵でしょうね。
次の目的地、道後温泉には、路面電車と徒歩で、あっという間に到着。
日本で一番古い温泉、道後温泉。
天皇家も利用された道後温泉本館に入り、いろいろ説明を受けた後、浴衣を受け取りお風呂にはいった。
女性用の浴室は大小二つあったが、大きな浴室の方がお湯が熱かった。入るときは、初めての経験でとまどったが、温泉の暖かな湯にひたっているととてもリラックスでき、幸せな気分になった。休憩室に戻り、お茶を飲みながら、名物の「ぼっちゃんだんご」を食べ、道後温泉を後にした。
―しまなみ街道―
残念ながら、翌日は、とても寒く、またほとんど雨であった。それでも、景色の美しさが損なわれることはなかった。むしろ、霧や雨、そして時々まじる雪が、ものがなしい情景を演出してくれた。私は、このような風景が好きで、かえって幸せな気持ちになった。
今治から瀬戸田までの旅は、瀬戸内海に浮かぶ島と島をつなぐ橋をみることができ、おもしろかった。
大三島ではバスをおり、瀬戸田までタクシーを利用。運転手さんから、大三島の様子や、瀬戸田の歴史などを聞くことができ、とても有意義だった。しかし、橋ができてからは、観光客が減ってしまい、多くのお店が閉店したと語ってくれた時はさみしそうだった。
瀬戸田の町は古風で静かで、故郷に帰ったようなほっとした気分になった。雨の日でもあり、人通りも少なく、あいているお店は少なかった。昔はもっと賑やかだったのかなとおもうと少し悲しくなった。
瀬戸田では、耕三という名の僧侶が母に捧げるために、30年代の中ごろから長い歳月をかけて造った耕三寺を訪れた。
建築物は、控えめな色合いの建物と明るく華麗な建物がミックスされており、カラフル建物は、雨の中でも映え、また他の見所も多かった。
寺には二つの博物館があり、陶器と絵画が展示されていた。しかし、雨と寒さのため駆け足の見学となった。
1000の仏像がある洞窟は素晴らしかった。洞窟には様々の種類の仏像が置かれていた。仏像は洞窟の道にそっても、滝のそばにもあった。また、天井まで達するように仏像が配置されている場所もあり、照明が効果的にあてられ、仏像が浮かびあがっていた。また、洞窟の道にそった壁には、様々の地獄や責め苦のイメージ画が描かれていて、不気味であった。洞窟をでると10メートルの高さの観音像が私達の前に聳え立っていた。
最後に、耕三が母のために立てた家を訪れた。家は、畳やふすまの伝統的日本家屋であるが、浴室にはモザイクがちりばめられていたり、色のついたガラス窓、華麗に垂れ下がったシャンデリア等、洋風スタイルもとりいれられており、とても魅力的だった。豪華な品々からは、耕三の母への献身と深い愛情が感じられた。
耕三寺の見学を終えて、フェリーで瀬戸田を後にし、尾道に。尾道からは汽車にゆられて広島へ向かった。
―広島・宮島―
広島につき、ホテルJAL City 広島に、チェックインした後、広島の名物、「お好み焼き」を求めて街に繰り出した。沢山のお好み焼きのお店が集まっている「お好み焼き物語、駅前広場」にはいることに決定。
ビルの中のお好み焼きや街を歩くのは他では味わえない経験だった。ずらりと並んだお店の陽気なオーナー達から、前をとおるお客に「うちの店がおいしいからよっていきな」と声がかかる。
皆、声が大きく威勢の良いオーナーの店に引き付けられ、はいってしまう。
お店では2つの種類のお好み焼き と他のメニューを注文したがとてもおいしかった。皆その夜の食事におなかもふくれ、大満足であった。
翌日、広島平和記念公園を訪れた。原爆ドームを見た時の印象は強烈だった。
私には、建物が第二次世界大戦中に街全体を破壊したほどの原爆にあっても形をどうにかとどめているのが信じられなかった。原爆ドームは、恐ろしいほど静かで、われわれは、1945年8月6日に原爆が落とされたのその日、広島の人々が受けた痛みにおもいをはせた。
広島原爆平和記念館に向かう途中に、原爆犠牲者を悼む「平和の灯」があったが、ここからは、一直線に原爆ドームが見渡せた。
平和記念館の訪問は、本当に価値のあるものだった。原爆投下がもたらした悲劇を学ぶことができた。破壊の大きさを見、運命の日とそれ以降の年月に広島の人々に起きた苦しみをおもうと、ひどく動揺し、いたたまれない気持ちになった。
しかし、広島の人々が、惨禍を乗り越え、世界平和の提唱者となったことには、とても勇気づけられた。また、広島市が世界から核兵器を廃絶することに絶え間ぬ努力を続けていることに、感動した。
広島平和公園から、船で日本三景の一つで、世界遺産に登録されている宮島に向かった。
島につくと、皆、ゆっくりと海に浮かぶ有名な鳥居と厳島神社の方へと歩いた。
島の住人であるおなかをすかした鹿や、名物のかきやあなごをだすレストラン、様々の特産品、しゃもじや、鹿やさるの人形、そしてもみじまんじゅうとよばれる和菓子を売っているお土産やさんを覗きながら歩いた。
海に浮かぶ鳥居の前にきたとき、なぜこの場所が日本で観光客に人気があるのかわかった。
鳥居は荘厳そのもの。くっきりとした朱色は、くもりの空とは対象的だった。
厳島神社もとてもおもしろい建物だった。廊下沿いにカラフルな酒樽が壁のようにつらなって、能舞台まで続いていた。この暗いこげちゃ色の廊下と能舞台は、神社の他の朱色の建物とは趣が全く異なっていた。神社からみた鳥居もとても印象的だった。潮が満ちてきた時に神社と鳥居をみればもっと感動的だとおもった。
厳島神社の見学を終えると昼食の時間。広島の名物、かきとあなごに兆戦してみる。当然のことながら、新鮮で、とてもおいしかった。
レストランをでると、外は爽やかにはれわたっていた。宮島とこの楽しい3日間の旅をしめくくるのにふさわしいお天気となった。
日本の様々な場所をまわり、観察し、新しいことにトライし、見知らぬ土地の人々の話を聞くことができた。本では決して得られないことを学んだ。この3日間、少しあわただしかったけれど、思い出に残る、楽しく価値ある旅であった。
以上
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