日航財団の研修生である私は、有名で人気のある義士祭――有名な赤穂浪士義士たちの最期の地である品川の泉岳寺を見学する機会をもらった。
義士祭は毎年12月14日に東京で開催され、有名な赤穂浪士の物語に由来する赤穂浪士の物語は事実 に基づいていて、義士祭は浪士たちの忠義と忠誠をほめたたえている。彼らは主人であった浅野長矩のため、吉良上野介義仲に復讐をし、最後に全員切腹を仰せつけられた。四十七士の遺骨は主人の浅野長矩と一緒に泉岳寺に埋葬されている。 |
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お寺の境内から帰る人ごみを通り過ぎながら、地下鉄の泉岳寺駅からゆっくりと泉岳寺に行った。お寺に近づくと、かすかなお香の煙と屋台の食べ物のにおいが混ざった香りが流れてきた。いつもそうなのだが、私の興味はまたついさまざまな屋台の売っている食べ物にいってしまう。食べ物屋台だけではなく、もっと奥には夏のお祭りで見たゲーム屋台もあった。もともと義士祭はお祭りではなく、義士たちを偲ぶイベントなのだが、屋台が出ていて、騒々しく通行人に勧めているので、お祭りの印象もある。 |
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墓所に近づいていくと、どうしてこの道に人が少なかったかが分かった。理由は、四十七浪士と浅野長矩に敬意を表すため、皆が列に並んで根気強く待っているからだった。その列を見ただけでは、冬の寒い中、列に並ばなければならないことにも感慨はなかったが、待っている間に日航財団の指導スタッフが、浅野長矩がその上で切腹したと言われる苔むした石や、浪士たちが吉良上野介義仲の首を洗った井戸など、義士たちのことをもっと詳しく説明してくれた。この、ちょっと殺伐とした、でも多くの逸話や歴史を秘めた石を間近に見て、現実と超現実が交錯する不思議な経験だった。 |
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しばらく待って、やっと赤穂浪士と主人である浅野匠守が埋葬されている墓場に入ることができた。忠義な浪士たちとその主人それぞれのお墓に御参りする前に、お供え用のお線香を買った。ほかの人々と共に、一つのお墓から次のお墓に、順番にお参りしながらゆっくりしたペースで進んだ。各人のお墓の前ではそれぞれお線香を供えながら、お祈りをした。お墓の後ろにある卒塔婆には各浪士の名前だけでなく、亡くなったときの年齢まで書いてあった。その年齢は18歳の少年から60代後半までである。そして、お墓の前にあった大量の灰と燃えているお線香は日本の人々がいかに浪士を崇敬しているかの証拠であった。通り過ようとしたとき、お線香の白い煙が漂ってきて、私たちを包み込みんだ。煙は目に染みただけでなく、私の視界を遮り、高く掲げられた提灯からの黄色い光が、真っ暗な墓場をもっと不気味な感じにした。 |
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お参りを済ませると、私たちは多くの明るい提灯でいっそう美しくなっている夜のお寺の境内へゆっくりと戻った。
もちろん、お寺を出る前に、その日に売っている食べ物の一つ――タイヤキを食べることを忘れなかった。カリカリで、お魚の形をしているカスタードクリーム入りのタイヤキは私の手を暖めてくれるだけでなく、体にも温もりを感じさせ、本当に美味しかった。 |
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泉岳寺の見学は本当に興味深い、そして魅力的な経験だった。義士祭が事実に基づいていることを知ることができて、わくわくした。それに、四十七浪士の主人、浅野長矩に対するあっぱれな忠義と復讐のためなら何でもする不屈の精神はまことに印象的だ。だから、四十七浪士の物語は日本人の心に深く刻まれているのだろうと思った。
その忠実な勇者たちと主人浅野長矩のお墓場を訪れる機会があったことは、本当に日本での忘れられない経験の一つなった。 |
以上 |
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Essay in English 英語版はこちら |
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