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雛祭りと親心
孔鑫梓
3月3日を間近にして、町には雛祭りの雰囲気が漂っている。駅の改札口の前にも、寮の入り口にも雛人形が飾られて、デパートにはお菓子が並べられ、目が釘付けになる。桜餅をはじめ、伝統的な和菓子はどれもおいしそうで、私の食欲を掻き立てる。高校の時、ホームステイ先には五月人形が飾られていた。子どもの健やかな成長を願ってのものと聞いたが、雛人形も同様の親心が生んだものだろうか。
2月29日、この4年に一度しかない特別なこの日、東京に大雪が残る中、目黒雅叙園と根津美術館の展示を見に行った。時代の移り変わりに伴って変わっていく雛人形を見ることができた。
目黒雅叙園百段階段を登っていくと、次々と人形を飾った舞台が繰り広げられた。京都で生まれた雛人形は江戸時代を経て、めまぐるしい変化をし、今に至る。極色彩を施した木彫りの嵯峨人形、全身胡粉のふっくらとした御所人形、誰にも愛されそうなあどけない姿だ。大型で豪華な享保雛はあまりに贅沢すぎると私には思えた。現在の雛人形の原形となる古今雛は、人形師の斬新なアイディアが施され、目に玉眼を用いるほどだ。特に、一昨年発見され日本最大級といわれる江戸時代末期の古今雛は、高さが70㎝もあって、その迫力に圧倒された。衣装も冠も実に精巧に仕上げられている内裏雛の他に、三人官女、五人囃子も柔らかな表情を見せている。かつての貴族に親しまれたというお雛様の豪華さに感服してしまった。雛人形の世界に入り込むことで、歴史の一端を垣間見ることができた。
根津美術館で展示されている和菓子の老舗「虎屋のお雛様」は生活感に溢れ、より親しみやすいものだった。愛娘のために誂えたお雛様と極小雛道具約2700点、どれも細工が施されている。茶道具、文房具、本棚などの多彩な雛道具は、まるで当時の生活の場に身を置いているように再現され、娘への親の愛情をしみじみと感じさせるものだった。
今回の見学で、一番興味を持ったのは「流し雛」の習慣だ。雛祭りの源といわれ、「上巳の日」に、水によるお祓いが行われたというものだ。紙で人形(ひとかた)を作り、それを身代わりとして病気や穢れを移し、川や海に流す。この行事が貴族の子どもの雛遊びと結びつき、江戸時代に至って雛祭りという形で定着するようになった。その後も今日に至るまで変わることなく、雛人形は大切に飾られてきた。
日本人の信仰する神道は、「清らかで生命力が満ちていること」を重視しているために、災いの身代わりとしての「流し雛」を作ったそうだ。流すことは、無病息災に成長できるようとの願いの表れなのだ。
ところが、わが中国で、人形を身代わりとして、海に流す習慣はない。人形を海に流すこと、焚くことは無病息災を願うことではなく、むしろ不吉なこととされる。ましてや、雛人形を飾る習慣もない。仏教を信仰する中国では、願い事がある場合、お寺に行き、仏様に自分の願いを伝えることの方が一般的だ。一年の始まりとなるお正月の早朝、お寺で線香をあげ、家族の安全と子どもの健康を願う親の姿はごく普通の光景だ。
雛人形に注ぎこまれた日本の親の愛情と、仏様に心の扉を開いて素直に願い事を語る中国人の親心、同じ空の下にいるにもかかわらず、国によって文化も習慣も異なる。日本の文化の多くは中国から伝えられたとはいえ、時間の流れに伴なって、日本独自の要素が取り入れられ、中国文化とは正反対のことを誕生させたと思う。
この雛祭り観賞をきっかけに、両国の文化の違いを見出すことを大いに楽しみたいと思っている。
以上
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