JAL財団外国人学生に対する研修 > 研修論文2012 「日中コミュニケーション比較」


 

(研修論文)

日中コミュニケーション比較

2012.8.15
北京外国語大学 孔鑫梓



 「日本語が分かりにくい」、「日本語が曖昧だ」とよく指摘される。日本人とのコミュニケーションでスムーズにいかない時がある。つかみどころのないやり取りをしているうちに、雰囲気がまずくなり、話が悶々と終わってしまった。同じ東アジアの国とはいえ、コミュニケーションにおいて多少差異が存在していると言える。


 本文では、日本的コミュニケーションの特徴を探り、中国との比較を行った。そして、日中間のコミュニケーションキャップが生じる原因の分析を試みた。


 まず、日本の中華料理店に関する会話を例に取り上げる。同じ話題について、日本人と中国人とそれぞれ話し合ったことがある。日本人に「日本の中華は正直おいしくないなぁ~」と言った場合、「あっ、そうですか。」または「へえ~」との曖昧な回答が一方的だった。これに対して、中国人は「そんなことはないよ。この前食べた店はすごくおいしかったよ。」「私もおいしくないと思う。」など反対か賛成の意見を述べた人が多かった。さらに日本人に「おすすめの店があれば、ぜひ教えてください。」と聞くと、「へえ、どうかなあ~」とぼかした回答が多数あった。 


 以上の例から、日本人ははっきりと意見を言わないことがうかがわれる。相槌を打つ他、曖昧な表現を多数使用し、はっきりと意見を述べない。特に、拒否や断りの場合、この傾向が一層強くなると思われる。たとえば、誘いを断る場合、「イエス」か「ノー」をはっきり言わず、「行けたら行きます。」あるいは「今日はちょっと。」など曖昧な答えが一般的だ。また、相手の提案の不備に気づいたとき、「おっしゃったそのメリットは十分わかります。でも、そのデメリットもあるわけで」のように、白黒をはっきりさせないぼかした言い方をすることが多い。相手の気持ちを配慮するため、自分の意見をはっきりと言わないが、婉曲表現によって相手に自分の気持ちを察してもらう。一方、中国人は比較的に自己主張が強く、はっきりと意見を述べる傾向にあると見られる。相互の意見に齟齬がある場合、其の場で反対意見を述べがちだ。自分の意見を相手に分かってもらうように、面と向かって反論したり、疑問を突き付けたりするのがごく普通だと思われる。


 日本的コミュニケーションにおいて、自己主張を避け、はっきりと意見を言わない他、本音と建前を使い分けている特徴も見られる。褒められた時に、素直に「ありがとうございます。」と言わず、「まだまだです。」と謙遜の言葉で返事するのが常識だ。また、別れの時に、「また一緒に遊ぼう」あるいは「また一緒に食べに行こう」との一言は誘いのように聞こえるが、実際は単なる挨拶文にすぎない。このように、日本的コミュニケーションは建前と本音の二重構造から成り立っていることがわかる。その中で、代表的な言葉として取り上げられるのは「すみません」だと考えられる。毎日何十回も繰り返している「すみません」は実に日本人のコミュニケーション意識を反映していると思われる。エレベーターを出る時、人の後ろを通過する時、注文する時など、あらゆる場所、時点において「すみません」の声が聞こえる。特に、謝罪の場において、「すみません」は不可欠な一言とされる。「すみません」を口にした謝罪者は実際どれぐらい悔恨を感じているかはさておき、非を認めた以上、責め立てることはできない。建前としての「すみません」は「場」の雰囲気をよくし、ピンと張りつめている空気を和らげるのに大きな役割を果たしている。また、スムーズな人間関係づくりにも役に立てる。 


 本音と建前を使いこなしている日本人に対して、中国人は愛想が悪い時がある。店にクレームをつけに行くお客さんは、いかにも不機嫌そうな顔をしている店員に「知らない、その日の担当は私ではありません」と冷たくされたことは少なくない。そのため、お客さんが腹立ち、店員とけんかまで揉めることは理解しかねない。 


 以上述べた点を踏まえ、「場」の雰囲気を重視する日本人は、相手の気持ちや立場を配慮し、「思いやり」の心を以てコミュニケーションを取ることがわかる。お互いに探り合い、相手の意思がはっきりするまで、曖昧な表現をする。また、良好な雰囲気を保持するために、上手に建前を使う。このように、日本人は聞き手を中心にコミュニケーションを図ることがわかる。一方、自己主張を好んでいる中国人は聞き手にあまり気を使わず、話し手を中心とする意識が強いと言える。相手に自分の考え方を理解してもらうために、はっきりと述べることがごく普通だ。 


 さて、日中の間に存在しているコミュニケーションギャップの原因はなんだろう。まず、両国においてコミュニケーションの目的が異なることが挙げられる。中国では、コミュニケーションの目的は自分の意見や思いをできるだけ正確に相手に伝えることにある。そのため、意見が対立する場合、相手に自分の考え方を理解してもらうために、はっきりと意見を述べることが多い。一方、日本的コミュニケーションの目的は其の「場」の雰囲気をよくすること、あるいは良好な雰囲気を維持することにあると言える。「空気」によって支配されている日本社会は「場」の雰囲気を重視する。そのため、「場」の雰囲気を読み取り、本音と建前を上手く使い分ける能力が求められる。また、意見が対立する時、齟齬を目立たせないように曖昧な言い方をし、良好な雰囲気を維持しなければならない。良好な雰囲気の場が形成されれば、人間関係もスムーズになるからだと考えられる。 


 次に考えられるのは日本の「察する文化」が機能していることだ。明治維新以来、日本は積極的に西洋技術を受け入れていたが、「和魂洋才」の精紳を以て、日本文化を大切にしてきた。日本文化の一つとして定着している「察する文化」は今になっても日本人の生活に影響を及ぼしつつある。そのため、日本社会において、意見をはっきりと言わず、曖昧な表現によって、お互いに察し合うことが普通だと考えられる。婉曲表現の微妙なニューアンスを読み取り、相手の気持ちを察することが必要とされる。 


 最後に、日本人の集団主義を原因として取り上げられる。日本社会において、意見が一緒、感受性が同じということが重視される。物事の感じ方や意見が違うと、「輪」の外に排除される恐れがある。仲間はずれにされかねない恐怖ゆえに、はっきりと自分の意見を言わない人が多い。また、意見の食い違いが生じる場合、相手に気まずく感じさせたくないため、曖昧な言葉で表現するしかない。ゆえに、相手の反応を気にする日本人はなかなか意見を言い出せないことは理解しがたくない。目立たないことを主流とする日本社会に対して、中国の若者の間で個性を求める動きが見られる。プレゼンテーション、ディベートなど様々な形を通して生徒の思考力や表現力を育てる学校は近年増加しつつある。生徒は物事を受信する一方的な立場ではなく、発信する能力も求められている。今の中国では、若者に大胆に意見を述べ、自己主張をすることが次第に重要視されてきている。 


 自己主張を貫いてきている欧米諸国の影響を受け、いま世界中の多くの国ははっきりと意見を述べることを重視してきた。その中で、日本はどう対応していくかが注目されている。勿論、グローバル化時代において、文化の多様性が必要とされる。そのため、無理によその国のやり方に合わせることはないと考えられる。しかし、いかに異文化と調和するかを考えるべきだと思われる。日本的コミュニケーションはメリットもあれば、デメリットもある。相手の気持ちを配慮しながら発信することは「思いやりの心」の育成に役立つ。また、良好な「場」の雰囲気づくりは人間関係をより円滑に行かせることにもつながる。とはいえ、ここで指摘しなければならないのは、日本人の情報発信力の欠如のことだ。日本人は意見をはっきりと述べ、発信力をより高めるべきだと考えられる。はっきりと意見を言わない場合、不必要な誤解を招く可能性がある。また、自分の考え方の不備や間違いにも気づきにくい。意思疎通は相手のことをより理解するためだけではない。相手に自分のことをより理解してもらう意味においても、非常に重要な役割を果たしていると思われる。 


 面白いことに、同じ日本人だとはいえ、都市によって、コミュニケーションのスタイルは多少差異が存在している。関西地方を例にすると、京都の人より大阪の人の方がだいぶわかりやすいだと言われる。京都で、女性がお客さんに「もう一杯いかがでしょうか」といった場合は、「もう帰ってくれ」との意味だ。文字通りに真に受け止めると、空気が読めないと指摘されがちだ。このように、都市によって、コミュニケーションスタイルは若干異なることがわかる。都市間のコミュニケーションスタイルの差異についての比較は今後の課題となる。 



以上






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