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(研修論文)

中国から伝来したものの日本での発展

2016.8.29
北京外国語大学  盧雨聡



  中国と日本は、同じ東アジアの国として、経済、文化、社会などいろいろな面において、交流が盛んに行われ、関連が進んでいます。その深い関係は一朝一夕にしてできたものではなく、千年以上にわたって築き上げてきました。
 中国の文献に初めて日本に関する記述がみられるのは「漢書」の「地理志」。

     「楽浪海中有倭人 分為百余国 以歳時来献見云」

 紀元前1世紀ごろの日本、「倭」は100国あまりの小国分立の状態であり、朝鮮半島にあった楽浪郡に定期的に使者を派遣し貢物を献上していました。そのほかに、「後漢書」の「東夷伝」や「三国志」の「魏志倭人伝」などの史書にも、倭と中国の関わりに関する記述が見られます。このように、日本と中国の交流は千年以上続いています。
 そして、飛鳥時代には日本から遣隋使や遣唐使が中国に渡って、当時の大国であった唐の文化や制度などを日本に持って帰りました。例えば、日本で初めて大量生産され、広く流通したお金、「和同開珎」は唐の「開元通宝」をまねして作ったものです。また、平城京の町並みは唐の長安を手本に整備されたともいわれています。そのほかに、お茶、箸、陶磁器などの日常品から、節句、祝祭日などの民俗や、儒学、仏教が代表する文化まで中国から伝わってきました。そのようなものが日本に根付き、だんだん一般の日本人の生活にも浸透していき、衣食住などいろいろな面において大きな影響を与えています。しかし、長い年月を経て、もともと中国から伝わってきたものが日本の習慣に合わせて発展していき、中には中国とまったく違うようになったものもあります。
 ここで、二つ具体的な例を取り出して説明したいと思います。

一、箸
 箸は和食文化の一環として、日本人の食生活には欠かせないものです。でも、その箸は古代中国から伝来したものです。
 中国の史書「魏志倭人伝」には、3世紀ごろ、日本人の生活ぶりに関する記述がありました。

  「倭地温暖 冬夏食生菜」「食飲用籩豆 手食」
  (倭の地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べる。飲食には高杯を用いて、手で食べる。)

 この記述からすると、当時の日本人は箸やスプーンなどを使わずに、手掴みで食事をしていました。一方、日本の「古事記」や「日本書記」には、神代の昔から日本には箸が存在したという記述はありましたが、それは食器として使われていたのではなく、ピンセットのような祭祀のときに用いられる祭器であります。
 では、箸が日本で食器として使われるようになったのはいつでしょうか。これについて諸説ありますが、初めて箸食制度を取ったのは聖徳太子だといわれています。推古天皇の8年(600年)に、聖徳太子が当時の先進国であった中国(隋)に遣隋使を派遣しました。遣隋使が中国では箸を使って食事をしていると帰国後聖徳太子に報告しました。そして、中国の使節団が日本を訪問しに来ました。日本では手づかみで食事をしていると使節団に知られたら、日本は野蛮な国だと思われ、当時の「先進国」の隋と対等的な国交関係を結ぶことができないかもしれませんから、聖徳太子がきゅうきょ朝廷内に箸を使って食事するよう命令したそうです。ここから日本で箸食の文化が始まり、8世紀ごろ、朝廷内だけでなく、だんだん一般の家庭にも広がっていき、日本人の食生活には欠かせないものになってきました。
 しかし、中国から伝わってきた箸ですが、今は中国と違う形をしています。それは、日中両国の食事に関する習慣の差異によるものです。 中国では、食事をするときみんなが食卓を囲んで、同じ皿の中から料理を取ります。離れた料理もうまく取れるように、中国の箸は長く作られています。それに対して、日本では、料理はそれぞれ一人前に取り分けられて、自分の目の前の料理を取るためには、そのような長い箸を使う必要はありません。そして、中国の箸に比べると、日本の箸は先端が尖っています。それは、魚を食べるとき、骨を取りやすいために尖らしたのです。まさに海に囲まれた国、日本の食生活に合わせて変わってきたのです。また、食事の時に箸の置き方も違います。日本では箸は自分の一番手前に横に置かれていますが、中国ではお皿の横に置くのが一般的です。
 一方、形が違うようになっても、箸に関するマナーは共通するところがたくさんあります。例えば、日本で言う「迷い箸」、料理が決まらず手をあちこち動かすことや、「刺し箸」料理を突き刺して食べることは中国でも不作法だとみられています。箸をごはんの上に刺したてることはとても縁起悪いとされています。日本では、亡くなった人の枕のそばに置く一膳飯は箸をごはんの上に刺したてています。そして中国では、そのようなごはんは亡くなった人へお線香をたくように見えますので、日本と同じ縁起悪いこととされています。
 このように、箸は中国から伝わってきたものですが、日本の習慣に合わせて日本独自の箸の文化ができました。

二、漢字

 日本語の表記として、漢字と仮名(ひらがなとカタカナ)が使われています。今の日本語の中でも両方とも使われていて、新聞や公式な書類にはむしろ漢字のほうが多く使われています。その漢字はもちろん昔中国から伝わってきたものであり、日本語特有の仮名も中国の漢字の偏や部首を参照に作ったものです。
 漢字の由来については各説ありますが、漢字で書かれた書物が公式に伝来したのは、「論語」と「千字文」が伝わってきた応神天皇の15年だと見られています。その後、貴族など上部の有識層に漢字が広がり、明治以降は一般の日本人も漢字を学ぶようになりました。
 しかし、漢字といっても今中国と日本で使われている漢字は全然違います。
 まずは漢字の読み方が違います。日本では、一つの漢字にいくつか異なる発音があることが多いです。その読み方として「音読み」と「訓読み」の二種類に分かれています。音読みは中国語の発音を真似た読み方です。そして、漢字の伝来する時期によって、同じ音読みでも「呉音」、「漢音」、「唐音」の三つの種類があります。例えば、「行」という漢字、呉音では「キョウ」「ギョウ」(行列)、漢音では「コウ」(銀行)、唐音では「アン」(行灯)と読んでいます。でも、ここでよく「呉音」は呉朝の時代の発音で、漢音は漢のころの発音で、唐音は唐の時代の発音と間違えられています。実は、「呉音」は5~6世紀ころ中国から伝わってきた発音であり、「呉」というのは時代を指すのではなく、中国の南方地方の発音であることを示しています。そして、「漢音」は7、8世紀遣隋使や遣唐使によって伝えられてきた発音のことです。その発音は唐の首都、長安のあたりで話されている漢民族の標準語として取り入れられたので、漢音と呼んでいます。そして、遣隋使や遣唐使により、あのころの日中両国の交流が盛んに行われていたため、音読みの中で漢音が一番多いとも言われています。また、「唐音」は鎌倉時代以降に伝わってきた発音のことを表しています。平安時代末期から鎌倉時代以降には、唐が中国全体のことを指すようになり、そのころ伝わってきた発音は唐音と呼ばれるようになりました。
 一方、訓読みは、漢字と同じ意味の日本語をそれに当てはめた読み方です。漢字が伝来する前、日本には「日本語」というものはすでに存在していましたが、話し言葉だけで、文字はありませんでした。漢字が伝わってきてから、表記として漢字に本来日本語の読み方をつけるのが訓読みです。
 そして、漢字の書き方も違います。まず、今中国大陸で使われている簡体字とは明らかに違いますが、それは大陸のほうが略しすぎたからです。実は今日本で使っている漢字の中にも略したものがたくさんあります。例えば、「国」という漢字、古代中国では「國」と書かれていましたが、今は中国も日本も略した「国」を使っています。しかし、その略し方の違いによって、違う書き方になった漢字もあります。例えば、「樂」という漢字、日本では「楽」のように略しましたが、中国簡体字のほうは「乐」に変えました。一方、ホンコンや台湾で使われている繁体字はそのまま「樂」と書きます。そのほかに、微妙に違う漢字もたくさんあります。例えば、「画」という字、中国語では「画」と書き、「氷」は「冰」と書きます。
また、同じ漢字と書いても、意味が全く違うこともあります。例えば、同じ「床」という字を書いていますが、中国語での意味はベッドです。また、「湯」という漢字、日本では「銭湯」のようによく温泉などに使われていますが、中国語の中では「湯」というのはスープのことです。そのほかに、「手紙」という漢字はトイレットペーパーの意味で、「娘」と書く漢字は娘の意味ではなく、お母さんという意味です。このような違いで誤解したり、カルチャーショックになったりする人も少なくないようです。
 一方、漢字や漢語自身は中国から日本に伝わったものですが、近代では日本の和製漢語が中国に逆輸入する場合もあります。近代、日本は明治維新を通じて古い制度を破り、欧米の新しい技術や思想、制度などを取り入れました。新しい概念やものがたくさん出てきて、先人たちが見事にそれを日本語の言い方に訳したのです。例えば、「科学」という言葉はもともと様々な学問という意味で使わられていましたが、明治時代に「 science」 という単語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周がこれを様々な学問の集まりであると解釈し、その訳語として「科学」を当てたのです。また、「電話」という単語も日本から中国に逆輸入したものだと言われています。1876年、グラハム・ベルによって発明された電話機が輸入され、当初はそのまま「テレフォン」と呼ばれていましたが、翌年に「電話」「電話機」と訳されたそうです。もともと話を伝える意の「伝話」「伝話機」という言葉があり、そこから当初は「伝話」「伝話機」とも表記されていました。そのほかに、経済、文化、哲学などいろいろな抽象的なものを表す言葉も和製漢語として中国に伝わっていったのです。
 このように、漢字はもともと中国人が発明し、日本に伝えたものですが、長い時間を経て、日本人の生活に浸透していき、日本独自の漢字文化が生み出されました。

 前文で述べたように、日本と中国の交流は1600年以上にわたり続いてきました。長い歴史の中で、日本が中国の文化を学ぶこともありますし、中国が日本から新しい技術を輸入することもあります。本当にいい付き合いはどちらかが圧倒的な立場にあるのではなく、対等な関係を保つことが重要だと思います。これからも日本と中国は連携してお互いに学びあい、ともに発展していくことを願っています。そして、日中両国の友好関係がずっと続いていけるように私の小さな力をささげたいと思います。  
   



以上






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