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ひな祭り研修レポート

北京外国語大学 徐 浩天



 日本では、毎年の3月3日に、家々がひな人形を桃の花とともに雛段の上に並べて飾ったり、雛あられや菱餅などを供えたり、さらに散らし寿司を食べたりして家族の女の子が健やかに成長していくのを願う年中行事がある。それは「桃の節句」、あるいはもっと一般的に「ひな祭り」と呼ばれる。3月1日、先輩の飯塚さんと一緒にひな祭り研修に行ったことで、これまで教科書と先生の講義でしか習わなかった「ひな祭り」は、飯塚さんのあたたかいご案内のもとで、生き生きと私の目の前に広がっていった。


お昼に食べた散らし寿司


百段階段
(写真提供:ホテル雅叙園東京)

 ひな祭りは中国から伝わり、その起源が漢の時代まで遡れるとされている。奈良・平安時代の日本に定着した頃、「上巳の節句」と呼ばれていたが、時間の流れとともに、だんだん「桃の節句」に変わってしまった。そこで、心の中に一つの疑問が生じた。「なぜ、桃の節句といえば散らし寿司?」興味深くてネットで調べてみると、散らし寿司は平安時代の「なれ寿司」に由来するとされ、そのなれ寿司が美しくなかったゆえ、華やかで縁起の良い具材を使った散らし寿司は定番になってきたそうである。さらに、たくさんの具材が入っているので、「季節の変わり目にバランスを取ることを大事にして、健康に過ごせるように」という思いが込められているという。なるほど、そういうわけで散らし寿司が食べられるのだと私はつくづく実感した。


 午後、飯塚さんにご案内いただいて、まず目黒雅叙園の展覧会を見に行った。和室の会場の中に飾られたお雛さまや玩具などもさることながら、会場自体それぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、四季の花鳥画が描かれたり、純金箔で仕上げられたり、精巧な彩色木彫が施されたりして息を呑むほど絢爛豪華である。各部屋を繋いでいる「百段階段」も、2009年3月に東京都の有形文化財に指定されたという。今回の展覧会はテーマとなる地域が青森、秋田と山形で、大名家に伝わる婚礼調度のお雛さまから旧家や豪商に伝わるお雛さま、郷土玩具の素朴なお雛さままでが設置されており、会場に入るなり雛文化の百花繚乱の世界に巻き込まれてしまった。

 その中で、一番印象に残っているのは、秋田の本荘藩主・六郷家の極小雛道具と山形の創作人形作家・大滝博子によって創られた人形である。普通の大きさの人形を創ることは決して簡単とは言えないが、極めて小さい人形を創るほど難しくはないことに違いないのだろうか。そのために今回、極小雛道具を見せていただいて、「さすがに名工だけであって実際の造形にも勝るほど見事なのだ」と感動した。当然のことで、ハード面の感動もあれば、ソフト面の感動もある。それは、大滝博子さんが創った人形の豊かな表情であった。子供の誕生、家族で祝う節供、母と娘の愛ある風景を真に迫っている描写力と模倣力で再現してくださった。それまで拝見してきたひな人形は「個」であったことに対し、大滝さんが作られた人形は「家」であり、そこからにじみ出た人情味と絆のぬくもりが心の底まで届いてきた。それは人心を慰めることのできる力を秘めている作品と言っても過言ではない。



大滝博子「雛のある風景」(写真提供:ホテル雅叙園東京)

 雅叙園を後にして、私は飯塚さんに連れていただいて、三井記念美術館へ行った。そこで展示されたのは、三井家のおひな様と人間国宝と呼ばれる平田郷陽が手掛けた市松人形である。いずれの人形やひな道具も贅をつくした逸品で三井家の夫人と娘さんたちに愛されてきた。それはどんな気持ちで大切にされてきたのだろうかと私は考えてみた。決してたぐいまれな美しさに魅了されたからだけではなく、段飾りのひな人形が家族の愛娘の身代わりとみなされ、掌中の玉のような子供たちの健康な成長と活躍を見守ってくださいますようにという願望も含まれているから、代々に伝わってきたのだろう。

 そう考えると、お嫁入り道具の中に入っている貝合わせこそひな祭りの本質に近いと言える。ハマグリは上の見事な絵が言うまでもなく、対の貝殻しか絶対に合わないことで一生一緒の運命の人と出会って、夫婦仲良く過ごせるようという願いがあるから、ひな祭りの真の意味に迫っていると思われる。そして、潮干狩りの3月に、旬の食べ物として出てきたハマグリは春の訪れも告げている。そういう特有な季節感がさらに加わって、ぎっしりと詰まった結果、「ひな祭り」という日本ならではの美しき春の風物詩になったものと思われる。


貝合わせ
(写真提供:ホテル雅叙園東京)


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