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日本の夏の旅
トリン テレサ
-鎌倉と江ノ島-
玉川大学の2人の学生と研修生とで鎌倉と江ノ島の観光スポットとおいしい食べ物の調査に出かけた。
建長寺
旅は静かな北鎌倉駅からスタートした。建長寺は駅からすぐのところにあった。
建長寺は鎌倉の有名なお寺の一つで、又、古い日本の禅修業の僧院である。寺院の総門はとても大きく2つの門は開かれていた。中に入ると広場がありその向こうに狸門と呼ばれる門がある。狸門をとおる時、とても大きく感じられた。近くにきて、その大きさがわかった。
狸門の隣には日本の国宝の一つである釣鐘があった。鐘の姿は普通だったが、1255年につけられ、寺の創設者の銘が打たれており、その歴史の重さに感銘を受けずにはいられなかった。
建長寺の他の部分では仏殿、八塔、方丈を訪れた。方丈の外側の廊下からは、境内の後方に位置する庭の素晴らしい景色を見ることができた。つかの間ではあったが絵のような池を抱いた広大な緑の庭は、日本の真夏の暑さの中、建長寺を訪れた人々に、ほっとする安らぎを与えてくれた。
鶴岡八幡宮
建長寺を後にして、有名な神社である鶴岡八幡宮へと歩いた。鶴岡八幡宮に近づくと、観光客を乗せた人力車や車のいきかう賑やかな通りのすぐ前に赤い鳥居があるのが見えた。しかし、鳥居をくぐり、太鼓橋をわたり、はすで覆われた池をすぎると雰囲気は、ずっと静かになった。
本殿は長い階段の上にあった。多分62段ほどの階段であったが、次第に暑さがしのびよってきて、上まではかなりあるように感じられ、上るのに相当なエネルギーを必要とした。しかし、玉川大学生の一人といっしょに一生懸命、上った。
上に着いて、写真のポーズをさっときめてから本殿にはいった。本殿の前は、賽銭箱に小銭をいれ、手をたたいて合わせ、願いがかなうようお祈りする参拝客であふれていた。
沢山の絵馬が神社にかけられていたが、日本人だけでなく多くの国籍の外国人が神社を訪れていることがわかった。絵馬に書かれた多くの願い事や祈りは、中国語、フランス語、英語でもかかれており、日本の文化が世界中の人に訴えるものがあることを示していた。
多くの参拝者達がおみくじを選んだり読んでいる光景を見かけた。その時まで、私はおみくじを引いたことはなかった。もしたまたま凶がでたら、そして最悪のシナリオで大凶がでたらそのとおりになってしまうのではおもうと、こわかったのだ。しかし、今回はどんな運勢がでるか、仲間の研修生と玉川大生とともに、ためしてみようと決めた。幸運なことに、私は吉、他の二人は凶がでてこまっていた。日本の習慣に従って、二人は凶が去っていくように、そのおみくじを引いた所のひもに結びつけた。
境内の中をまわっている時、私を微笑ませ、これぞ日本の夏とおもわせる体験にでくわした。それは、日本の少年、少女達が、長い虫取り網のついた棒をもって、虫かごを肩にかけ、大きな茶色の騒がしいセミを捕まえようと、境内の中を走り回っている光景を見た時だ。
その時は暑さで疲れていたが、とても心をひかれたので、私も虫取り棒を持って、神社の多くの木々で泣いているセミをとってみたいとおもった。残念ながら我々の忙しいスケジュールではそのような時間はなく、次のおもしろい目的地、小町通りに向かった。
小町通り
小町通りには、お土産や、着物、準宝石、ガラス製品等、様々の品物を売る小さなお店が両側に並んでいた。しかし、すごいなとおもったのは、多くの食べ物を売るお店、特にスイーツのお店が沢山あったことだ。
皆でやきたてのせんべいを食べたが、私はおなかの中に更にスペースを残していたので、チョコレート、ラム味のクレープ、紫いもいりのアイスクリームなどをためしてみた。
賑やかな、通りを歩くのはとても楽しかった。その前に訪れた静かな寺院や神社とは対照的であった。
江ノ電
賑やかな小町通りの後、有名な緑の電車、江ノ電に乗った。緑と薄い黄色のローカル電車はレトロに感じられた。中はエアコンが効いており、暑さから開放され、とても心地よかった。つかの間の涼しい汽車旅の後、また、鎌倉の道を歩いて、大仏へと向かった。
鎌倉大仏
背景がとても美しい13メートルの青銅の大仏を見ると、その巨大さと全体の美しさに、感動を覚えずにはいられなかった。この美しい光景に引き寄せられて、大仏の前のお香をいれた丸い鉢の前までいき.
煙を私の体の悪い部分にひきよせた。そして、私の頭と脳がお香の煙の力でよくなりますように祈った。
江ノ島
大仏を後にし、江ノ電の素敵な旅を続け、私達は最終目的地江ノ島に着いた。道を歩く水着姿の多くの人々、海水浴客、浜辺でバーベキューをする若い男女、砂にまみれで家族といっしょに歩いている子供達を見ると、この地が海なくしては語れないことがわかる。
江ノ島にかかる橋をわたると両側に多くの小さなお店が並ぶ小路がみえた。道の端までいくとエスカレーターがあり、さらに奥の神社や他の見所に行くことができた。様々の種類の神社は、徒歩での探検をとてもおもしろいものにしてくれた。
汗をかき、息を切らしながら歩くことは、とても苦しかったが、最後に到達した場所では美しい海と、サンセット、そして涼しく爽やかな海風のご褒美が待っていた。
釣りをしたり、泳いだり、ぼんやりと海を眺めている多くの人々、そして、岩場の潮だまりでは、子供達が貝などひろっていたが、私達は皆と同様に楽しんだ。靴を脱いで、水と戯れたい強い誘惑にかられたが、時間がないので、あきらめざるをえなかった。
レストランのある場所まで戻るには、はてしなく続く階段を歩かねばならず、かなりの挑戦であった。汗をかき、足の痛みに耐え、ようやくレストランにたどり着いた。
江ノ島だから当然のことだが、メニューは海産物が中心であった。私が選んだのはサザエ丼セット、ご飯の上に卵とたまねぎとさざえがのった丼に、素晴らしい風味のかに汁と漬物がついていた。美しい海岸の景色と満足のいく夕食は、最後の下りに必要なエネルギーを与えてくれた。
私が江ノ島で特に気に入ったものは、島中で気ままに横たわっている沢山の猫。猫達は行き交う人々を気にせず、好きなことをしているようにおもえた。人の行き交う道の真中やお店のあたりでじっと寝ていたり、観光客達の間をゆっくり歩きまわる、色も大きさも性格も異なる島の猫には、とても引き付けられた。
旅の最後の良かったことは、江ノ島名物の一つ、小さな蛸を、特別な機械で圧縮し平らにし、大きなせんべいに仕立てた蛸せんべいを食べたこと。せんべいを作るのを見るのがおもしろいだけでなく、その味は充実した一日の最後をしめくくるのにふさわしい素晴らしいものであった。
今回の旅では、いろいろなこと学ぶことができた。鎌倉では建長寺、鶴岡八幡宮、小町通り、大仏など名所を見る機会に恵まれ、江ノ電に乗ったり、江ノ島を訪問する事もできた。
ときおりの暑さには少しまいったが、鎌倉の歴史のある神社や寺院は訪れる価値があった。
旅の間で見た光景の多くは、感動的で、はっとさせられ、そして美しかった。機会があれば、もう一度、本日のコースをたどってみたい。汗ばむ日本の夏の暑さと江ノ島の階段を考えると少し勇気がいるけれど。
-両国・御徒町-
玉川大生2人と研修生とで、こんどは東京の見所を調査した。
相撲部屋
両国駅についたが、駅の周辺は、日本の伝統的スポーツ、相撲と強い関係があることがよくわかった。駅の構内を歩くと、壁に2人の力士が描かれた絵がかけられているのが目に付いた。これは、両国でその日みかけた相撲関連の品々の最初のもの。駅でわくわくした後、タクシーで朝稽古を見学する予定の相撲部屋に向かった。
相撲部屋に到着し、部屋の建物の写真をとっていると、まわしだけを身につけた力士が部屋の玄関から出てきて道を歩きはじめた。力士をみるのは始めてだったので、相撲の稽古が見られることにドキドキした。
しかし、その日の稽古はすでに終了したと聞いた時は、がっかりした。残念ながら我々はその相撲部屋にはいることはできなかった。
幸運なことに、我々が次の目的地に向かって歩いていると、数名の力士が道にちらばってストレッチや休憩をとっている場面にでくわした。写真をとらせてほしいと頼んだ後、玉川大生が見学に関して尋ねると、力士の一人がまだ稽古中で部屋にはいることができるかもしれないといってくれた。激しい相撲稽古をみる機会を与えてくれた幸運な出会いに大喜びした。
相撲部屋にはいり、靴を脱ぎ畳の上に正座した。相撲世界の厳しいルールで、稽古を見ている時は静かにしていなければならなかった。又、写真撮影が禁止されていたのが、とても残念であった。
私たちの前の一段低いところに、四角形で灰色の砂場のような場所があり、その中に土俵が設けられていた。二人の力士が中で稽古をしていた。力士たちのつけている廻しは2種類の色があり、白い廻しの力士は、色の濃い廻しの力士よりベテランでランクが上、濃い廻しは下位ランク(新弟子)のように見えた。稽古の間、下位力士達は土俵の外に立ち、タオルをもって、熱心に先輩力士達の稽古を見ていた。
下位力士は、先輩力士に、稽古の後、タオルをわたしたり、汗をふいたり、砂を払ったり、口をすすいだり、飲むための水をひしゃくでわたしたり、やらねばならないことが沢山あった。相撲部屋の全員に、守らねばならない厳しい規則があり、特に下位力士には骨の折れるきつい生活のようにおもわれた。高位力士達の稽古が終わると、下位力士の番となった。稽古は、いっしょに土俵のまわりをしこを踏みながらまわることの繰り返しだった。
力士達が日本の伝統的スポーツのために、精神的にも肉体的にもきつい稽古に挑戦していることに、私は畏敬の念にとらわれた。
稽古がおわり、しびれた足を開放して、相撲博物館に向かった。
相撲博物館
両国国技館の中にある相撲博物館では、8人の横綱がいて相撲人気が高まった時代がしのばれた。8人の横綱の詳細が、取組み前の儀式で使われた細かく装飾された化粧廻し、過去の名勝負に関する本、記事、そしてとてつもなく大きな手形とともに、紹介されていた。
博物館の壁には、昔の力士達の絵がかけられていた。異なるスタイルで描かれた力士達の姿はは相撲の長い歴史を教えてくれる。初期の力士は浮世絵(カラーの木版画)で描かれ、後世になると立体間のある3Dスタイルの絵になり、最近の力士は写真へと変化してきている。
相撲の決め手の紹介ビデオはとてもおもしろく、絶対に自分も決め手を使って相撲をとってみようとおもった。
朝から相撲体験をしたので昼食はちゃんこ鍋に決めた。ちゃんこ鍋は、様々の野菜、とうふ、肉、海産物を一つの鍋にいれ、とりと味噌だしでにこんだもので、力士達がふだん食べている。相撲博物館周辺のちゃんこ鍋のお店はとても高かったが、玉川大生が手ごろな料金のお店をみつけてくれた。
相撲の雰囲気抜群のお店で昼食をとった。玄関で靴を脱ぎあがったが、壁には相撲に関する様々のポスターや写真が貼られていた。ちゃんこ鍋セットは、期待を裏切らなかった。薄味のスープの中にキャベツ、チキン、もやし、とうふ、きのこ等をいれた土鍋が、小さなガスコンロとともに運ばれてきた。ガスに火をつけ、鍋から湯気があがった頃、食べ頃となった。ちゃんこはとてもおいしかった。力士達がしょっちゅう食べているのが不思議でないことがわかった。
江戸東京博物館
昼食の後、次の目的地、江戸東京博物館に向かった。便利なことに国技館のすぐ後ろに位置していた。
江戸東京博物館の外観は、その名前とは対照的に、未来の建物のようで少し驚いた。
博物館に入り6階につくと、江戸時代の暮らしの常設展示物があったが、大変興味深かった。最初は、有名な日本橋と歌舞伎座の実物大のレプリカで、とても印象的だった。博物館では、触ったり体験できる展示物がおおくあり、又、模型も精巧で、江戸の歴史から現代の日本までを学ぶのにとても効果的であった。
私には、昔、大名用に使われた籠のレプリカに乗ったり、火消し組の重い纏(まとい)をまわしたり、水を運ぶ手桶を持ったり、人力車に乗ったり、明治時代の白い電話ボックスに入ったりしたことが、特におもしろかった。これらの展示物は英語でよく説明されており、写真をとることも可能で、博物館をまわることが楽しかった。
大変残念だったのは、明治時代の建物の多くが1923年の関東大震災で破壊されてしまったことだ。その一つが、浅草に建てられ、日本で最初にエレベーターが付けられた、レンガ造りの塔、凌雲閣だ。破壊される前の写真をもとに作られたレプリカを見て、凌雲閣や当時の壮大な建築様式で作られたビルが永遠に失われ、実物を見ることができないことを悔しくおもった。
博物館の5階、6階を歩き回った後、有名な商店街、上野、アメ横に向かった。
アメ横
アメ横はとても活き活きとした賑やかな長い商店街。商店街には、衣料品、靴、バッグ、傘、お土産、和菓子、トルコのケバブ、たこやき、果物、野菜、魚等、様々のお店が並んでいた。
又、多くのゲームセンターがあり、若者達の人気のスポットになっている。平日だったが買い物をする人やたこやきを食べる人、そして観光客で混雑していた。アメ横の雰囲気は、全てにおいて、その前に訪れた、軍隊のように厳しい相撲部屋や静かな雰囲気の博物館とは対照的であった。
今回の東京の旅では、日本の最も歴史のあるスポーツ、相撲を見ることができた。又、相撲博物館を訪問することで、相撲に関する歴史、ルールを知る事ができた。江戸東京博物館では、触ったり体験することができ、又、主要な展示物に英語の説明があり理解しやすく、日本の過去から現在までの歴史も学べ、とてもおもしろかった。又、アメ横の活気あふれる商店街の雰囲気は素晴らしかった。パイナップルの串刺しを食べた事で一日の旅をしめくくることができ、とても満足した。
以上
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